新興重工業都市バーミングハム


Cahaba River

Tannehill Ironworks Historic State Park

 バーミングハムは石炭の宝庫アパラチア山脈の西端でカハバ川が流れる谷間にあります。1830年に下流のタネヒルで良質の鉄鉱石が見つかり、最初の製鉄所ができました。

 南北戦争が終わって間もない1871年、ディケーターとモンゴメリーを結ぶ南北アラバマ鉄道が計画されます。

投資家10名が開発会社を作って、新線とアラバマ-チャタヌガ鉄道(ミシシッピー州メリディアン-チャタヌガ)が交差する土地を買収。南部の未来を担う町に、イギリスの先輩重工業都市にちなんでバーミングハムと命名しました。

Sloss Furnaces

Vulcan

Heaviest Corner on Earth 1916 (20th St/1st Ave) 

 カーネギーがピッツバーグに最新のベッセマー製鋼法を採用した製鉄所を建設したのが1872年。バーミングハムも、時流に乗って順調に成長していくはずが、あいにくコレラの流行や6年にわたる不況があって、しばらくお預け。それでも、1882年には、バーミングハム初の高炉が銑鉄の生産を開始しました。

 20世紀に入ると、ダウンタウンに「地球上で最も重い区画」といわれた摩天楼群が建ちました。レッドマウンテン山頂からバーミングハムを見下ろして立つ火と鍛冶の神バルカン(ローマ神話)の像は、1904年のセントルイス万博に出品された都市のシンボルです。

16th Street Baptist Church

 しかし、繁栄の一方で、バーミングハムは全米でも特に人種差別の激しい都市という悪評が、次第に高まっていきました。

4人の少女を悼む歌

 (The Ballad of Birmingham)

 1963年の春にキング牧師や聖職者の指導の下に起きた人種差別抗議運動では、大人が逮捕され尽くした跡を継いでデモに参加した年少者たちを、警察が高圧放水や警察犬を使って制圧。全米にテレビ中継された映像は、世界中の人々に衝撃を与え、ついに連邦政府が介入する事態に発展しました。

 この事件をきっかけに公民権運動を支持する世論が盛り上がり、翌年にはジョンソン大統領が署名し、公民権法が成立する運びとなります。しかし、それに先立つ同じ年の9月には、人種差別団体クー・クラックス・クランのメンバーが16番通りの黒人教会に爆弾を仕掛け、4人の少女が爆死する悲しい事件が起きました。11月にダラスで選挙遊説中のケネディ大統領が暗殺された年…アメリカが大きく揺れていた時代です。

 バーミングハムの植物園には、たいへん立派な日本庭園と盆栽コレクションがあります。

Birmingham Botanical Gardens