ヘレン・ケラーとW.C.ハンディ

Helen Keller & W. C. Handy


File:Ivy Green.jpg

Helen Keller Birthplace (Ivy Green)

50州シリーズ硬貨

(アラバマ)

 ディケーターから西にテネシー川を50qほど下ると、北岸がフローレンスで南がタスカンビア。この一帯を総称して、ショールズ都市圏と呼んでいます。

 タスカンビアは三重苦の社会運動家でアラバマ州の記念硬貨にもなったヘレン・ケラー女史の生まれ故郷で、生家はアイビー・グリーンの愛称で一般公開されています。

 1880年に誕生したヘレンは、19ヶ月の時に病気で視聴覚と会話能力を失いました。「奇跡の人」といわれる家庭教師のサリバン先生の厳しい指導に耐えてヘレンは言葉を覚え、現ハーバード大学(ラドクリフ女子大)を卒業後、87歳で亡くなるまで、身障者ばかりでなく女性や労働者など社会弱者を守る運動に取り組みました。戦前と戦後に一度ずつ訪日し、親日家としても知られています。

ミシシッピー川の扇状地

W.C. Handy() with his 1918 Memphis Orchestra

 一方、フローレンスは音楽家W.C.ハンディの出身地です。

 南部各地でキャリアを積み、ミシシッピー・デルタのクラークスデールに住んでいたおりに「ブルース」を初めて耳にしました。「ブルース」は、奴隷解放後も続いたひどい人種差別と貧しい生活の中で生まれた黒人の音楽です。

 ハンディはメンフィスに移り住み、「メンフィス・ブルース」や「セントルイス・ブルース」を発表して、後にブルースの父と呼ばれるようになりました。

FAME Studios 

(Florence Alabama Music Ent.)

Muscle Shoals Sound Studios

 右の地図にはエルビス・プレスリーの生誕地トゥペロも掲載しましたが、現代ロックミュージックの源流を遡ると、ショールズやメンフィスを含むミシシッピー州北部の地域にたどりつきます。

 1950年代のショールズのラジオ局WLAYでは、後にメンフィスでプレスリーを見出したサン・レコード社の創業者が、ディスク・ジョッキーで、黒人と白人の音楽を融合させようと奮闘していました。

 さもなければ、ショールズのような地方の小都市に、そうそうたる大歌手が利用した音楽スタジオが2つもあるはずはありません。FAMEスタジオではアレサ・フランクリンからアンディ・ウィリアムズまで、マッスルショールズ・スタジオではローリングストーンズからポール・サイモンまで、幅広いジャンルのミュージシャンがレコーディングしています。したがって、アラバマ音楽の殿堂もあるのも当然でしょう。