【ウェストサイド南部】ピルゼン地区★名前今でもチェコ人街 ★メキシカンコミュニティと再開発名前は今でもチェコ人街
ピルゼンの名前は、ホップの味がほろ苦い現代のラガービール(ピルスナービール)の醸造法を編み出したボヘミア地方(チェコ)の都市にあやかったものです。 ピルゼンに最初に住み着いたのはドイツ系ですが、19世紀のピルゼンには、チェコ系を中心に、スロバキア系、スロベニア系、クロアチア系、オーストリア系が住むようになりました。ポーランドやリトアニア系の人々もいました。 1960年代後半には、ニアウェストサイドにイリノイ大学シカゴ校が開校して、立ち退かされたメキシカンが南隣のピルゼンに移動してきました。 メキシカンコミュニティと再開発
メキシカンの人口は増え続け、70年代のうちにスラブ系の人々の数を上回るようになり、ピークの2000年には全居住者の89%を占めるまでになったそうです。しかし、その後はピルゼンの再開発が進み、徐々に富裕層に魅力的な町に変化を遂げているのだそうです。 様々な人々が住み着いては去って行くピルゼンには、多彩な文化遺産が残されています。 ネオ-バロック様式(シカゴシアターや日本の赤坂迎賓館)の街並みの中にポーランド様式の寺院あり、イタリアレストランあり、メキシコ風の色鮮やかな壁画あり、渾然一体とした実に不思議な調和がある地域です。 |