リトルイタリー
イタリア系市民は今でこそ大勢力ですが、アイルランドやドイツ、ポーランド系より遅れて1890年頃から移民してきたせいで、他の移民仲間から冷たい仕打ちを受けたようです。南欧系の人々は言葉や食べ物も違いますから、奇異に見られたのでしょう。 出稼ぎでお金を貯めて5年もしたら故郷に帰るつもりの人が多かったそうですが、第一次世界大戦で大西洋航路が危なくなり、結局永住してしまう人が増えました。「リトルイタリー」という場合は、イリノイ大学シカゴ校の西隣テーラーストリートの最も有名なイタリア人街を指しますが、イタリア人街はほかにもここかしこにあります。
グランドストリートのイタリア人街の愛称は「リトルシシリー」です。ここでは未だにシシリー島方言ややイタリア半島の「ブーツのかかと」地方のなまりが聞けるそうです。ただし、「リトルシシリー」というと、再開発で取り壊されてしまいましたが、昔「リトルヘル(地獄)」とも呼ばれたダウンタウン北西部のこわ〜い旧リトルシシリー地域を思い出す人も多いようです。 「リトルタスカニー」は、北イタリア出身の人々が集まってできた珍しいイタリア人街です。古きよきレストランも数多く残っているようですよ。 カポネ一味のアジト
マフィアの親分カポネのせいで、気の毒なことに、シカゴのイタリア人にはギャングのイメージが染み付いてしまいましたが、カポネ一味は堅気のイタリア人街に潜んでいたわけではありません。 カポネは、図に示したシセロという街の市政を牛耳る一方でレキシントンホテルの地下を隠れ家に使っていたそうです。1929年には、リンカーンパークの近くで、アイルランド系のノースサイド・ギャング7人をマシンガンで惨殺しました。有名な「聖バレンタインデーの虐殺」と呼ばれる事件です。 ディープディッシュ・ピザシカゴ名物の「ディープディッシュピザ」は、1943年に「ピッツェリア・ウノ」がマグニフィセントマイルの近くに最初の店()を出した時に生まれたそうで、地理的には「リトルイタリー」生まれではありません。
しかし、焼かずに蒸す100%ビーフのシカゴスタイル・ホットドッグやイタリアンビーフ・サンドイッチは、「リトルイタリー」や付近のユニオン・ステーション付近で誕生したと伝えられています。ポリッシュソーセージ入りのサンドイッチは、1950年代に一世を風靡したシカゴブルースのミュージシャンが街頭演奏をしていた通りの名で、今でも「マックスウェル通りポリッシュ」と呼ばれています。 グリークタウン
ニアウェスト地区のもう一つのエスニックタウン=「グリークタウン」は少しダウンタウン寄り。いつも大勢の人出でごった返しています。
ギリシャ料理といえば、中東の「カバブ」系串焼き肉スブラキはいかがでしょう。ムサカは、バルカン半島から中東の人々に愛されているメニュー…ギリシャで典型的な三段ムサカは、下からオリーブ油でソテーしたナスのスライス、中段にみじん切りのタマネギ、ニンニク、トマトにスパイスで味付けしたラム(羊)の挽き肉、上段にホワイトソースかカスタードを重ねてグラタン風に焼き上げた食べ物です。 NBAブルズの本拠
プロバスケットボールNBAシカゴ・ブルズの本拠ユナイテッド・センターのゲート4番の前には、マイケル・ジョーダンがダンクを決める瞬間の銅像が立っています。
ニアウェストの西はファーウェスト…地元の人々にも犯罪多発地域として警戒されていますが、ダウンタウン方面から、シカゴ「L」のグリーンラインで、昼間、ガーフィールドパークの植物園に行くだけなら心配なさらなくてもいいでしょう。駅も可愛らしくて、園内は安全地帯です。 |