移民制限と黒人の大移動
シカゴは、1848年にイリノイ・ミシガン運河が開通して最初の50年はシカゴ川を中心に特に農畜産物の集荷場として発展しました。一方、サウスシカゴは、1893年の万博景気で移民労働者を引き寄せ、さらにインディアナ州のゲーリーやイーストシカゴ周辺まで次々に製鉄所を開業させて南部シカゴランドの工業化を牽引して行ったのです。
しかし、1924年にアジア人や東欧や南欧系をねらいうちにしたにした移民制限法が設けられると、それまで安い労賃で働いていた新規移民の供給がストップしてしまいます。その後の労働力不足の穴を埋めたのが、南部諸州からの「黒人大移動(Great Migration)」でした。 南北戦争で奴隷制度は廃止されたものの、南部諸州の黒人の人種差別は非合法のリンチや差別立法の制定により、むしろあからさまになっていました。そこで1910~30年の間に130万人、1940~70年の第二期には5百万人の黒人が南部から東部や中西部、カリフォルニア州に移住したと見られています。 シカゴに移住した人々はサウスシカゴを中心に定着しました。オバマ大統領の奥様ミシェル夫人の曽曽祖父はサウスカロライナ州の農場で奴隷として働いていたのだそうですが、お祖父さんの代に一家はシカゴに移ってきました。サウスシカゴ(サウスショア)のワンベッドルームのアパートで生まれ育ったそうです…実は生家は立派な住宅街にあるという記事もありましたが、どちらが真相でしょう?といっても、夫人の生家は観光地ではありません。今は誰が住んでいるか知りませんから、あまり詮索しない方がよさそうです。 昼間のワシントンパークは安全
左の図は、私が観光記事を書く参考にしている「Wikitravel」が作成した暴力犯罪発生率地図の一部です。これによればワシントンパーク地区周辺はシカゴで最も危険な地域の一つですが、シカゴ警察の対話型マップを見ると、最近はこの地域も安全になってきたようにも見えます。でも、皆さんの身に危険が及んではいけませんから、私から観光はお勧めできません。
ワシントンパーク(公園)自身は、ワシントンパーク地区の中でも例外で「昼間なら全く安全」だということです。逆に、安全と信じられているハイドパーク地区でも、シカゴ大学より南の地域は気をつけた方がよいもかもしれません。 ブロンズビルは、ニューヨークでいえばハーレム。シカゴの黒人文化の中心で、1920〜30年代にかけて、ルイ・アームストロングを筆頭にジミー・ドーシー、ベニー・グッドマン、チャーリー・パーカー、サラ・ボーン、ナット・キング・コールなどの有名ジャズメンが活躍したサンセット・カフェ 再び「Wikitravel」によれば、本当のシカゴ・ジャズを聴くならチャタム-サウスショアがいいそうですが、特に夜は交通機関も危険ですから冒険なさらないでください。犯罪多発地帯が南下してきているようです。 ダウンタウンやリンカーンパーク地区でもすばらしいライブを楽しめます。各地のジャズ・クラブは、2002〜05年にシカゴ大学に研究留学なさった放射線治療がご専門の中村先生のホームページ「Living in Chicago」に詳しく紹介されていますから、参考になさってください。 |