デトロイト観光・e-ガイド (印刷ページ)

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ビッグスリーとアメ車の歴史

Big Three (Ford/GM/Chrysler) 

★T型フォード ★GMの5系列 ★クライスラーとジープ


Ford Piquette Plant

Cadillac Place

 デトロイトの観光は、自動車産業の歴史を抜きに語れません。ご面倒でも、駆け足で、ビッグ3(フォード/GM/クライスラー)の歴史とデトロイト周辺の地理を、大雑把に頭に入れてください。

 この地方では、ミシガンの良質な木材を用いた馬車の製造が盛んでした。動力をウマからエンジンに変えるだけで、初期の自動車生産が始まりました。五大湖の水運を使えば、鉄鋼や石油を容易に調達できることもデトロイトの地の利でした。

 19世紀末には中西部と東部の各地に数多くの自動車工場が誕生しましたが、革新的な技術者と経営者に恵まれたデトロイトを中心に、ビッグスリーが全米の自動車産業を集約していくことになりました。

Ford Model T

Woodward Dream Cruise

===≪T型フォード≫===

 フォード本社とヘンリー・フォード博物館があるディアボーンは、ヘンリー・フォードの生まれ故郷です。フォードは、デトロイトのダウンタウンで起業しましたが、世紀のヒット商品「T型フォード」が生まれたのはピット街に工場があった1908年…大量生産で、自動車を大衆に身近な消費財に変えました。

 ダウンタウンから北西20マイルのポンティアックにミシガン州道M-1号線(ウッドワード街)がまっすぐ伸びていますが、ピット街は、ミッドタウンより、もう一つ外側のニュータウンと呼ばれる地域の一角。当時は、キャデラックやドッジなどの自動車工場と部品メーカーが軒を連ねていました。

 1923年から78年にわたりGMの本社を務めたキャディラックプレースも、ニューセンター(GM本社は2001年にリバーサイドの超高層ルネッサンスセンターに移りました)。M-1は、アメリカ自動車産業の史跡として国立景勝バイウェーに指定されていて、毎年8月のドリームクルーズには4万台のクラシックカーと150万人の観客が参加します。

===≪GMの5系列≫===

 ビュイックは、GMの起源となった由緒あるブランドで、フリントで産声を上げました。といっても、生みの親のビュイックさんは、すぐに姿を消し、新会社の経営に招聘されたウィリアム・デュランがGMの祖となります。

Buick Bug(Driver:Chevrolet)1910

1904 Oldsmobile Curved Dash runabout

1904 Oldsmobile Curved Dash

 ところで、ランシングには、フォードに先駆けて大量生産方式を開発したランサム・E・オールズのオールズモビル社がありました。デュランは、1908年にビュイックの持ち株会社GMを設立して、その年にオールズモビル社を買収します。当時、高額商品の自動車の販売台数は限られ、自動車会社の経営は楽ではなかったようです。さらに翌年、GMはポンティアック発祥の2社(ポンティアック・GMC)と、キャデラック社を傘下に収めます。

1922 Lincoln Touring

Cadillac Model M Touring 1907

 キャデラック社は、フォードが手離した会社をヘンリー・リーランドが引き継いだのが始まりです。その後、デュランと仲たがいして、自身の会社リンカーン社を立ち上げますが、これも最終的にはフォードに売却する運命でした。リーランドは、拳銃のコルト社で腕を磨いただけあって精密技術に労を惜しまず、アメリカの2大高級車ブランドの祖となりました。

 1918年には、ビュイックのレーサーだったシボレー選手がフリントに設立した自動車会社がもGM傘下に入り、GM5系列体制(キャデラック・ビュイック・オールズモビル・ポンティアック・シボレー)のブランドが出揃いました。

ビッグスリーのブランド(1930〜80年代)

フォード

GM

クライスラー

高級車

キャデラック

リンカーン

中級車

マーキュリー

ビュイック

オールズモビル

クライスラー

デソト(〜1961)

大衆車

フォード

ポンティアック

シボレー

ダッジ

プリムス

=====≪クライスラーとジープ≫=====

 クライスラーの起源は、マックスウェル‐ブリスコー社です。工場はニューヨーク市の北で、今は日本人の皆さんも多数住んでおられるホワイトプレーンズの近所でした。といっても、社長はビュイック創成期の経営に関わったブリスコーで、パートナーのマックスウェルもオールズモビルで経験を積んだ方ですから、やはりデトロイト人脈の流れです。

Chrysler Airflow

Jeep Wagoneer

 1907年の不況の際に、ブリスコーは、当時の4大自動車会社(フォード・ビュイック・オールズ・マックスウェル)を一つにして独占企業を作ろうと提案しましたが、各社に断られてしまいました。代りに米国各地の会社を統合して合衆国自動車会社(United States Motor Company)を設立。1911年には各地に18工場1万4千人の従業員を抱える大企業になりましたが、その後も経営難が続き、1925年に、それまでビュイックの社長を務めていたウォルター・P・クライスラーが買収して再建に乗り出します。クライスラーは先進技術を大衆車に採用して成功し、1934年には流線型の革新的なデザインの車を売り出して、さらに名声を高めます。

1915 Dodge  Model 30-35

 1928年には、ダッジ兄弟のダッジ社が上級大衆車ブランドとして傘下に加わりました。デトロイト郊外のオーバーンヒルズはダッジ社があった町で、その後のクライスラーの本拠になりました。

 クライスラーは、1987年にアメリカンモーターズ社を傘下に収めましたが、アメリカンモーターズ社は現代SUVの原型となったジープ・ワゴニアを製造するウィリス‐カイザー・ジープ社と、創成期のGMをデュランとともに築いたチャールズ・ナッシュが経営するナッシュモーターズ社が合併してできた会社です。シートベルトなど、時代の先を行く設備をいち早く導入したことで知られています。