ノーザンミシガン−上半島・e-ガイド (印刷ページ)

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銅の国キーウィノー半島とアイルロイヤル

★キーウィノー国立歴史公園 ★アイルロイヤル島国立公園


国立歴史公園のパンフ(⇒拡大)

 キーウィノー半島には、知られる限り地球上で最古の溶岩流の跡が残っています。11億年前の太古の昔に、スペリオル湖のもとになった大陸中央地溝帯(Midcontinental Rift System)に沿って大噴火があったからで、これまでに純度97パーセントの天然の銅が大量に発見されたのも、地球上でここだけです。

 銅の採掘や精錬も、インディアンの手で、早ければ紀元前5千年…この地方の氷河が溶けて地表が顔を出したばかりの頃に始まっていたと考えられています。メソポタミアやエジプトで青銅器時代が始まったのは紀元前3500年頃といわれていますから、こちらの方が早かったのかもしれません。

 近代的な銅産業は、19世紀半ばに始まりました。鉱山開発をリードしたのはコーンウォール人の熟練者。その頃、イギリスの産業革命を支えてきたコーンウォール地方の銅山は掘りつくされ、1861〜1901年には、コーンウォール人の男が、10年毎に5人に1人のペースで海外に出て行きました。

(注) コーンウォール人は、ケルト系の民族でウェールズ語やブルターニュ半島語に近い言葉を話す人々です。コーンウォール系アメリカ人の中ではマーク・トウェインが特に有名ですが、マーク・トウェインの先祖は17世紀半ばにアメリカに渡って来た初期の移民です。

 コーンウォール人に次ぎ19世紀末以降にやってきてキーウィノー半島の銅産業を支えたのは、フィンランド系移民でした。ヨーロッパでは1871年にドイツ帝国が成立し、これに対抗するロシア帝国がフィンランドの自治権を剥奪してロシア化を強いた時代です。

 フィンランド系の人々は、緯度が高くて故郷の風土に似ているキーウィノー半島の周辺やミネソタのアローヘッド(北東部の矢じり形をした)地方に住んでアメリカの鉱山開発に貢献しました。 19世紀末にはキーウィノー半島の銅が全米需要の90%を供給していた時代もあったそうですが、銅は、装飾品やコインから電線や水道管に至るまで用途が広く、現代でも最も重要な鉱物の一つです。

 最後の銅山も1968年に閉鎖されて今は往時の栄華を偲ぶだけですが、国立歴史公園は繁栄を極めた「銅の国(コッパーカントリー)」の歴史を語る19の施設を保存しています。

 もっとも、歴史の勉強だけが目的でわざわざ遠くまで出かけるのも野暮な話。コッパーカントリートレイルという国立景勝バイウェーがありますから、気候のよい季節にドライブ気分でお立ち寄りください。最寄の空港はソイヤー国際空港。それでもホートンまでは110マイル(177q)、車で2時間かかりますから事前にしっかり計画を立てて出かけましょう。

 国立歴史公園の中心は二つあります。一つはホートンの隣町ハンコックのクインシー銅山跡。かつて銅鉱石を運び下ろした半マイル(800m)の坂をアプト式の観光電車で登って廃坑を見学しましょう。

 ホートンはウィンタースポーツのメッカで、ハンコックと合わせると今でも人口が1万5千人を越える町ですが、国立歴史公園のもう一つの中心キャルメットは第一次大戦前後をピークに人口が減り続け、既に歴史的使命を終えた村です。

 立派な劇場や教会が残っています。お隣のロリアムは、鉱山経営で成功した豊かな人々が暮らしていた村で、美しい住宅街は今も健在です。

 廃坑やゴーストタウンを道すがらに眺めながら、国立景勝バイウェーの終点は半島北端のコッパーハーバーです。ここには鉱山関係者をインディアンから守るために砦が築かれましたが、懸念された紛争は起きませんでした。

 コッパーハーバーとホートンからは、アイルロイヤル島国立公園のロックハーバーにフェリーが出ています。アイルロイヤル島は、地質学的にはキーウィーノー半島と対をなす溶岩層の外縁で、同じように自然銅を産することで知られていました。

 細長い島を峰伝いに縦貫する40マイル(64q)のハイキングコースは、普通4〜5日かかる行程です。ムース(へらじか)が泳ぐ姿を見ることができても、人影を全く見ずに過ごすことができる場所ですから、寂しがり屋の方は、コッパーハーバーかミネソタ州のグランドポーテージから出ている日帰りツアーの船に乗って観光なさるようお勧めします。

 ホートンからは、季節限定の水上飛行機ツアーがあります。