ビックスバーグと南北戦争

★アナコンダ作戦 ★装甲艦の戦い ★ビックスバーグ攻囲戦


Vicksburg (1910)

Anaconda Plan

夜間強行突破する北軍の装甲艦隊

 ジャクソンの真西約40マイルのミシシッピー川河岸の町ビックスバーグは、南北戦争(1861〜65年)の激戦地。アメリカ人なら、誰でも知っています。

 日本史でいえば「坂の上の雲」…日露戦争で日本軍がロシアの旅順要塞を攻めあぐんだ状況に似ていますが、日本軍がバルチック艦隊の到着前に陥落させなければならなかったのに比べると、北軍には時間の余裕があり、町ごと包囲して1ヶ月半で南軍を降伏させることができました。

 両軍合わせ1万人近い死傷者が出たそうですが、南北戦争の頃はまだロクな機関銃がなかっただけ、死傷者数が10倍に上った旅順戦に比べれば不幸中の幸いだったかもしれません。(⇒アニメ戦史

国立戦史公園の地図と当時の両軍布陣を重ねた地図(⇒拡大)

(現在のミシシッピー川は1876年の洪水で流路を変更)

 さて、南北戦争時に北軍が採用した戦略は、獲物に巻きついて絞め殺す大蛇「アナコンダ作戦」として知られています。沿岸の港を攻略して南部の経済封鎖を図るとともに、ミシシッピー川を支配して南部を東西に分断しようとしたのです。

 西部戦線の主役は、後に第18代大統領となるグラント将軍でした。1862年半ばには、テネシー川下流の砦を落としてミシシッピー州トゥペロ付近に進出、テネシー川とミシシッピー川の水運をつなぐ陸路を断つすることに成功します。

 一方、当時は装甲艦が登場したばかりの時代でした。装甲艦同士の対決も南北戦争が世界の海戦史で初めてだったほどですが、北軍は河川用にも多数の装甲艦を建造し、ビックスバーグ付近を除いてミシシッピー川を完全に支配下に収めました。

 しかし、東西鉄道の連結点であるビックスバーグを確保しなければ、南部諸州を分断することはできません。当時のミシシッピー川は、ビックスバーグの目の前で馬蹄形に屈曲し、断崖上からミシシッピー川を通過する船舶を砲撃するには絶好の立地でした。

ビックスバーグ方面作戦 (⇒拡大)

 1863年に入り、グラント将軍は、ビックスバーグを避けて航行する運河を作ろうと試みますが、干ばつなどの事情でなかなかうまくいきません。ついに、艦隊は夜間に敵前を強行突破。守備隊がビックスバーグに釘付けになっている間に、周辺の南軍部隊を掃討し、グラント将軍は要塞化したビックスバーグを包囲したのです。

USS Cairo

USS Cairo

 南軍守備隊が降伏したのは、独立記念日の7月4日でした。だから、ビックスバーグの人々は、独立記念日を祝わないという逸話もあります。前日には東部戦線のゲッティスバーグの戦いに勝ち、北軍は南北戦争の勝利に向けて大きく前進しました。

 現代の国立戦史公園は、当時の堡塁の跡をたどるようにビックスバーグの町を大きく取り囲んでいます。機雷に触れて沈没した当時の装甲艦「駆逐艦ケイロ」が引き揚げられて展示されていますから、ごらんください。

 南北戦争に全く関係のないアトラクションとしては、ビーデンハーン・コカコーラ博物館があります。それまではお店でタルから注いでもらって飲むしかなかったコーラを、世界で初めてボトリングして売ったキャンディ屋さんです。