バンダービルト家とアッシュビル

★アッシュビル回廊 ★栄光の時代 ★苦節50年とダウンタウン


 アパラチアの大山系には、北東から南西に何層もの山脈が重なるように走っていますが、中でも最も険しいのがブルーリッジ山脈です。特に、ノースカロライナとテネシーの州境部では山脈の幅が100km近くありますから高速道路を通せる場所は、アッシュビルを除いてあり得ません。

 ここで、2本のインターステートが交差しているのも偶然ではありません。I-40はカトーバ川とフレンチブロード川の谷間をぬってノースカロライナのピードモント(山麓地帯)とテネシー州のノックスビルに至り、I-26は山脈を南北に横切ってサウスカロライナ州の州都コロンビアとイーストテネシーのジョンソンシティを結んでいます。

===≪栄光の時代≫===

 鉄道は1880年代に通り、製材や繊維産業が発展しました。

 時は、金権政治の下でアメリカ経済が発展し大資本家が次々に生まれた「金ぴか時代(Gilded Age)」…そのうちの一人、鉄道王バンダービルトの末子が夏の別荘として建てたのが、アッシュビルのビルトモア邸(エステート)で、一般公開されています。アメリカ最大の個人邸宅としても有名です。

Biltmore Estate

Château de Blois

 バンダービルト一族はオランダの出身で、本名は「フォン・デル・ビルト(van der Bildt)」。ビルトモアとは、ビルト家の丘陵(more)という意味で名付けられました。床面積は4940坪で250室。「フランスの庭」と呼ばれるロワール渓谷のブロア城をモデルにしたそうです。

 屋内には、プール、ボウリング場、エクスサイズ設備、2階建て図書館のほか、当時としては珍しいエレベーターやセントラルヒーティング、中央制御の時計、火災報知器、インターフォン・システムなどを備えています。

 屋外のビレッジには、フランス風の幾何学的庭園とイギリス風の風景的庭園に加えて、ワイナリーや高級ホテルまであるのですから、年間百万人の観光客が訪れるのも不思議ではありません。

Grove Park Inn

 アッシュビル経済は1910〜20年に最盛期を迎えました。ホテルグローブパーク・インが、近代的な大量生産方式を批判して生まれた「アーツ&クラフツ」様式を用いて建設されたのもこの時期です。「トラベル&レジャー社」の2010年リゾートホテル・ランキングでも、北米で20位に入った名門ホテルです。

==================≪苦節50年とダウンタウン≫==================

City Hall

Basilica of St. Lawrence

 しかし、大恐慌により1930年には9つの銀行のうち8行が破産、アッシュビルは一転して「市民一人当たりの市の借金が全米最大の都市」となってしまいました。バンダービルト家が邸宅を一般公開したのも、アッシュビルを観光で復興しようと考えたからです。

 結局、5千6百万ドルの負債を返済するには、50年を超える歳月が必要でした。その間に都市開発は停滞しましたが、おかげでアールデコ調の市庁舎聖ローレンス教会などの美しい建物が温存されてきました。今では、ダウンタウンも、アッシュビルの重要な観光資源です。

 市内と周辺には、小動物園のウェスタン・ノースカロライナ自然センターアッシュビル植物園ノースカロライナ植物園フォークアート・センターなどの行楽施設もあります。東西にはブルーリッジの峰が連なり景観を楽しむ場所には事欠きませんが、1ヶ所だけ選ぶなら、断然、チムニーロックです。