サウスカロライナ州e-ガイド

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サウスカロライナ州

グリーンビル

サウスカロライナ・e-ガイド目次

サウスカロライナ州

南部植民地と歴代英国王/ディープサウス(深南部)の元祖/アップステート地方/ミッドランド地方/ローカントリー地方

グリーンビル

アップステートとインターステート85号線/キングスマウンテンの戦いとカウペンスの戦い(アメリカ独立戦争)

その他各地の情報は準備中です

サウスカロライナ州

State of South Carolina

サウスカロライナ州案内図/南部植民地と歴代英国王

ディープサウス(深南部)の元祖/アップステート地方/ミッドランズ地方/ローカントリー地方

⇒クリックで図が拡大(印刷用ページ)

サウスカロライナ州案内図

 空港  補習授業校  アウトレット・モール  動物園  遊園地  古戦場  国立公園ほか

サウスカロライナ州の空港

都市名

略号

空港名

年間乗客数

飛行状況

Charleston

CHS

Charleston 国際空港

944,143

到着機

出発機

Greer

GSP

Greenville-Spartanburg 国際空港

756,490

到着機

出発機

Myrtle Beach

MYR

Myrtle Beach 国際空港

692,364

到着機

出発機

Columbia

CAE

Columbia Metropolitan 空港

633,835

到着機

出発機

Hilton Head Island

HHH

Hilton Head Island 空港

62,115

Florence

FLO

Florence 地方空港  

45,331

到着機

出発機

(注) 一般に観光客が利用するヒルトンヘッド・アイランドの空港はジョージア州のサバンナーヒルトンヘッド・アイランド国際空港です。

南部植民地と歴代英国王


 アメリカ南部初期の植民地の歴史はイギリス国王の名前でたどることができます。まず(生涯独身でバージン・クイーンと呼ばれた)エリザベス1世の時代に植民地を建設しようとした最初の試みがあり、大胆にも現ノースカロライナ州からメイン州に至るアメリカの東海岸一帯がひとくくりでバージニア植民地と命名されました。

ディープ・サウス5州…黄色

(テキサスやフロリダを含めることもあります) 

赤は黒人が全人口の約4割を越えるカウンティー

 数々の苦難を乗り越えて恒久的な植民地が誕生したのは、次のジェームズ1世の治世…これが、現バージニア州のジェームズタウン(1609年入植)です。さらに次の時代、フロリダのスペイン勢力に少し気兼ねしつつも、現ジョージア州からノースカロライナ州までの東海岸がチャールズ1世のラテン名によりカロライナ植民地と名付けられます。 しかし、実際にカロライナ植民地が始まったのはもう一つ次の時代になってからで、現サウスカロライナ州のチャールストン(1670年入植)はチャールズ2世の名前に由来しています。ジョージア県が誕生(1724年)したのは、それから4代飛んでジョージ2世の時代…以上です。

ディープサウス(深南部)の元祖


 さて、南北のカロライナは、兄弟ながら、生まれつき性格の違う植民地として成長する運命でした。初期のノースカロライナ入植者の多くがバージニアから流れて来た年季奉公明けの貧しい白人だったのに対して、サウスカロライナにはフランスから農業技術に優れたユグノー(プロテスタント)の農民が多数招かれて住みついたのです。

===≪各地のページにリンク≫===

準備中

⇒グリーンビル-スパルタンバーグ

グリーンビルのメインストリート

スパルタンバーグのダウンタウン

⇒コロンビアのページ

コロンビア運河放水路

コンガリー国立公園

⇒チャールストンとローカントリー

チャールストンのバッテリー地区

マートルビーチのハードロックパーク

ヒルトンヘッドのハーバータウン

 サウスカロライナやジョージアでは、早くから黒人奴隷を使った米や藍(あい=染料)のプランテーション農業が成功しました。独立戦争の頃には、中心都市のチャールストンは、農業貴族たちが豪邸を建て、カリブ海の各国植民地から集まる商人や高級職人、文化人でにぎわうようになっていたそうです。

 1793年に、サウスカロライナに隣接するジョージア州サバンナでホイットニー(Eli Whitney)が綿繰り機(Cotton Gin)を発明すると、綿花栽培の採算性が一挙に向上します。そこで、黒人奴隷と綿花のプランテーション農業を核とする南部経済が確立、サウスカロライナやジョージアの異国情緒が香る文化とともに、アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナへと伝播して行くことになりました。後にジャズやブルースを生み出したディープ・サウス(深南部)のルーツです。

 サウスカロライナ州地域図 (⇒クリックで拡大  

 ところで、サウスカロライナ州については、アップステート(Upstate)、ミッドランズ(Midlands)、ローカントリー(Lowcountry)と3つの地方に分けて説明する人が多いようです。

アップステート地方


 アップステートは、アパラチア山脈の山麓でピードモント(Piedmont)と呼ばれる台地…このあたりには、むしろノースカロライナの雰囲気が漂っています。同じピードモントのシャーロットやローリー-ダーラムなどノースカロライナ州の工業地帯とジョージア州のアトランタをつなぐ幹線 I-85が縦貫する産業立地に恵まれた地域で、日本企業も多数進出しています。中心は、補習校があるグリーンビル(Greenville)とスパルタンバーグ(Spartanburg)。独立戦争では、敗色濃い南部戦線の勢いをよみがえらせたキングスマウンテンとカウペンスの戦いがあった地域としても知られています。

ミッドランズ地方


都市名

学校名

Greenvile

グリーンビル日本語補習授業校

Columbia

松葉学園

 ノースカロライナで沿岸平野(Coastal Plain)とひとまとめに呼ばれている地域が、サウスカロライナではミッドランズとローカントリーの2つの地方に分かれます。

 まず、サウスカロライナの州都コロンビア(Columbia)を中心とするミッドランズ…ここで、I-95やI-20と微妙にずれて併走する国道1号線に注目してください。実は、この1号線、北はニュージャージーから南はジョージア州まで、フォール・ライン(Fall Line)と名付けられている滝の連続線にほぼ沿っているのだそうです。つまり、国道の西側は大陸岩盤で東側は土砂が堆積してできた沖積層、川がある所には必ず滝ができる地形…フォール・ラインより上流に船はさかのぼれず、フォールラインの下流では流れが弱く水車で機械を動かせないというわけで、フォール・ライン上に工場ができ、町ができ、国道ができました。

小さな国立公園

Congaree National Park

独立戦争の史跡

Kings Mountain

Cowpence

南北戦争の史跡

Fort Sumter

 コロンビアはサウスカロライナのど真ん中…州都として選ばれフォール・ライン上に作られた計画都市です。コンガリー川の下流でチャールストンと運河で結ばれ、鉄道が通り、綿花の集積地として発展しました。ここには、その名も「松葉学園」という名の補習校があります。開拓者が入ってくる前の時代には、ミッドランズのサンドヒルズ(Sandhills=古代に隆起した砂丘)地帯は、松と樫の林に覆われていたのだそうです。

 フォール・ラインの西の延長には、ゴルフのマスターズで有名なジョージア州のオーガスタがあります。東隣ノースカロライナ州のゴルフ・リゾート=パインハーストも国道1号線上…ということは、フォール・ラインは、きっとゴルフ・コースにもよい地形なのでしょう。

ローカントリー地方


 しかし、全米に名高いサウスカロライナのゴルフ天国はローカントリーにあります。マートル・ビーチ(Myrtle Beach)の周辺には120を越えるパブリック、ヒルトンヘッド・アイランド(Hiltonhead Island)の周辺にも40〜50のパブリックのコースがありますから、毎日2ラウンドしても全コースを回るには3ヶ月かかる計算です。マートル・ビーチが海水浴やテーマパークなど子供連れでも楽しめる総合レジャー・センターなら、ヒルトンヘッド・アイランドはやや落ち着いた雰囲気の中高級リゾートと言えましょう。

サウスカロライナ州のアウトレット・モール

所在地

アウトレット・モール名

店数

Myrtle Beach

 Tanger North Outlet Center 

 Tanger South Outlet Center

100

100

North Charleston

 Tanger Outlet Center

90

Bluffton - Hilton Head Island

 Tanger Outlet Centerr

85

Spartanburg-Charlotte (Gaffney)

 Prime Outlets at Gaffney  

70

サムター要塞を砲撃する南軍

 さて、最初に申し上げたように、チャールストンはディープ・サウスの文化のルーツです。南北戦争でも南部連合の急先鋒…サウスカロライナ州が連邦(アメリカ合衆国)を脱退して、チャールストンの湾口に孤立した連邦軍のサムター要塞を攻撃したことから戦端の火蓋が切られたのです。

 市街の最南端にはバッテリー(The Battery=砲台)という南北戦争前の建物が残る一角があります。チャールストンのページを開くまでには、まだまだ月日が要りますので、取敢えずユーチューブの動画をお楽しみください。

 そういえば、小説と名画「風とともに去りぬ」の舞台はアトランタ南郊ですが、クラーク・ゲーブルが演じたレット・バトラーはサウスカロライナ州チャールストンの出身。

 ビビアン・リーが演じたヒロイン=スカーレット・オハラの父親はアイルランド系移民で意志の強い農園主ですが、母親はヒルトンヘッド・アイランドのすぐ南に隣接するジョージア州サバンナで育ったフランス貴族の血を引く優雅な婦人という設定になっています。

 南北カロライナの地理や歴史を知れば知るほど、あらためて感心してしまいます。よくできた小説ですね。ただし、奴隷制時代の南部の文化を美化し過ぎているという批判もあります。


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