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チャタヌガ・e-ガイド

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Chattanooga

チャタヌガ・e-マップ (掲載先索引)/ルックアウトマウンテンとチカモーガ/チャタヌガ・チューチューとダウンタウン

チャタヌガ・e-マップ

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掲載先索引…各地の詳細には楽しい動画や画像がたくさん入っています。

チャタヌガの生活】 【チャタヌガの観光と行楽】 【チャタヌガ周辺の観光と行楽

サンプル

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ルックアウトマウンテンとチカモーガ

★ルックアウトマウンテン観光 ★チェロキーの涙の旅路 ★チカモーガの戦いとチャタヌガの戦い(南北戦争)


Rock City Gardens

Lookout Mt. Incline Railway

 大河の流れは実に気まぐれです。チャタヌガでも、テネシー川はダウンタウン付近で直角に折れて一度南行しますが、すぐにU字型に反転して北に向かって下ります。そして、その流れを見下ろすように立っているのが、ルックアウトマウンテンです。

=====ルックアウトマウンテン観光=====

Ruby Falls

 名前の由来には諸説ありますが、東向きの崖っぷちにあるロックシティ・ガーデンに立てば、誰でもその眺望(Lookout)に感動することでしょう。

 山上には車で上ることもできますが、一度はルックアウトマウンテン登坂鉄道に乗車してみてください。最大斜度65度で、世界一急勾配のスリルを味わえるケーブルカーです。1895年にできました。

 ふもとの地下340mには高さ44mの地底滝ルビー・ファールズがあります。エレベーターでまっすぐ下りて、鍾乳洞を歩いて進むうちに神秘的に輝く滝に出会うことでしょう。

 少し西の山すそには、リフレクションライディング植物園(Reflection Riding Arboretum & Botanical Garden)があります。四季おりおりに光織り成す樹木を見ながら、ゆっくりドライブしてください。

 再びロックシティ・ガーデンに戻って、東に5マイル(8km)ほど行くと、レイク・ウィネペソウカ遊園地(Lake Winnepesaukah Amusement Park)。名前がややこしいので地元の人はレイクウィニー(Lake Winnie)と呼んでいます。

対岸のサンドマウンテンから撮影

=====チェロキーの涙の旅路=====

 さて、ここで話はノックスビル・e-ガイドの「チェロキー・インディアンと西部の開拓者」の記事につながります…これは、主に白人サイドから見た西部開拓史でしたから、少し重なりますが、チェロキーと白人の対立が決定的になったアメリカ独立戦争の頃に戻って、インディアンの悲劇の歴史を見てみましょう。

 チェロキーは、50以上の村を破壊され1777年に降伏します。しかし、ドラッギングカヌー酋長率いる徹底抗戦派は、時にはインディアン連合を組んで、チャタヌガ南方のチカモーガを本拠にゲリラ的に白人集落を襲い続けました。これがチカモーガ戦争です。1792年にドラッギングカヌー酋長が亡くなって2年後に終結します。

 イーストテネシーは、ほぼ全域が白人に取り上げられてしまいましたが、当時は、ジョージア北西部がまだインディアンの土地として残されていました。チェロキーはここに定住して国を作ったのです。シカ猟を止めて豚や牛を飼い、綿花の種と糸車を与えられ、土地を耕して、白人文化に同化する道を選びました。

 1812年の第二次米英戦争では、イギリス軍に味方したクリーク族を相手にチェロキーは戦い、後に第7代大統領となるジャクソン将軍の勝利に貢献します。連邦政府との友好の下、文字が作られ、議会が開設され、新聞が発行されるまでになったそうです。

インディアン5部族の涙の旅路(Trail of Tears⇒拡大)

 しかし、その間にも周辺のチェロキーは白人に追いやられ、アラバマやミシシッピー、さらにはミシシッピー川を越えてアーカンソーなどに徐々に移住していました。1828年にアトランタ北方のアパラチア山麓で金が発見されてから、急速に雲行きが怪しくなります。ゴールドラッシュで開拓者が押しかけ、1830年にはインディアン移住法が制定されてしまいました。

 連邦政府側にも反対意見は多く、チェロキー族国家は最後まで抵抗しましたが、ついに期限が来て1838年5月に現オクラホマへの強制移住が始められました。人々は着の身着のままで収容所に集められ、最初の3千人は船で発ちましたが川が干ばつで干上がって難航し、多数の死者と脱走者が出たためにすぐに中止されました。

 夏の間に収容所では赤痢などで350人が亡くなったそうです。残る1万1千人は、冬に陸路で12の幌馬車隊に分かれて居留地に向かうことになりました。大半は薄着で裸足。ここでも多くのチェロキーが落命し、後に涙の旅路(Trail of Tears)として知られるようになりました。

=====チカモーガの戦いとチャタヌガの戦い=====

 飛行機の時代が来るまで、アパラチア山脈は交通の障害でした。西部の開拓者はシェナンドーア川からテネシー川の渓谷伝いの道を切り開きましたが、チェロキーが強制移住させられた後は、アパラチア山脈の南を大きく迂回する道が便利になりました。チャタヌガは新旧の道の分岐点ですから、南北戦争(1861〜65年)の終盤で、歴史の表舞台に再び登場してきます。南北戦争の西部戦線を見てみましょう。

Chattanooga Chickamauga National Military Park(⇒拡大)

@Chickamauga Battlefield

 ALookout Mountain Battlefield BMissionary Ridge

 開戦翌年の1862年2月にグラント将軍の北軍がナッシュビルを無血占領してから、テネシー州では南軍がマーフリーズボロに撤退して対峙し、それから両軍はしばらくケンタッキーを主戦場に戦っていました。

 ケンタッキーで南軍は戦闘に勝ったものの、支配権を得られず早々に逃げ帰ることになりました。北軍は、水運を完全支配するためミシシッピー川下流の南軍の要塞ビックスバーグを攻略する一方で、南部の帝都アトランタに向かって一直線に中央突破する作戦を立てました。

"Battle of Lookout Mountain" 

by Kurz and Allison

 1863年は北軍のストーンズリバーの戦いの勝利で始まり、南軍はマーフリーズボロを放棄しました。ついで6〜7月のタラホーマの戦いに勝ち、9月には南に回りこんで補給路を断ち一気にチャタヌガを攻め落とそうとします。

 しかし、南軍は南北に峰や小河川が走る複雑な地形を味方に抵抗しました。北軍は指揮の乱れを突かれて完敗、南軍に囲まれてチャタヌガに孤立してしまいます。しかし、北軍の退却の際には「チカモーガの岩」トーマス将軍の部隊の奮戦があり、南軍も北軍以上の痛手を蒙りました。西チカモーガ川沿いで戦かわれたので、チカモーガの戦いと名づけられました。東部戦線のゲッティスバーグの戦いに次いで南北戦争で多数の犠牲者を出した凄惨な戦いでした。

 その後2ヶ月間は高台を確保した南軍が北軍をチャタヌガに釘付けにしていましたが、11月にはミシシッピー川方面の片をつけたグラント将軍の援軍が駆けつけ、南軍と再戦、今度は北軍が勝利します。これがチャタヌガの戦いです。戦いの舞台となったのは、ルックアウトマウンテンとチャタヌガの東を走るミショナリーリッジの峰で、チカモーガの戦場と合わせ、チャタヌガ-チカモーガ国立戦址公園に指定されています。

 それからの北軍は、南軍の支配下にあったノックスビルを解放。東部戦線から南軍の援軍が来る憂いを除いた上で、翌年5月に満を持してアトランタに進軍します。8月末には「風とともに去りぬ」で有名なアトランタの炎上。シャーマン将軍は、鉄道を破壊しながら大西洋岸のサバンナに進撃(海への行進=March to the Sea)して、さらに南北カロライナを北上。挟み撃ちにあった東部戦線の南軍リー将軍は翌年の4月に降伏し、南北戦争は終息に向かったのです。

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チャタヌガ・チューチューとダウンタウン

★チャタヌガ・チューチュー ★蒸気船デルタクイーン


Glenn Miller Orchestra 

 The Nicholas Brothers & Dorthy Dandridge

 チャタヌガのダウンタウンには、「チャタヌガ・チューチュー」という風変わりな名前のホテルがあります。「チューチュー(Choo Choo)」は日本語の「シュッシュッポッポ」。1941年のラブコメ・ミュージカル映画の中で、ニューヨークからチャタヌガに旅するシーンに用いられた挿入歌で有名になりました。

Hotel (Terminal Station)

Chatanooga Choo Choo

 グレン・ミラー楽団の演奏。1949年生まれの私も子供の頃によく聞いて、しっかりメロディを覚えています。グレン・ミラーは、ビッグバンド・ジャズの旗手として1939〜44年に大活躍しましたが、前線慰問旅行中に飛行機事故に遭い40歳の若さで亡くなりました。

 歌詞に登場するのはニューヨークからチャタヌガに向かうサザン鉄道のバーミングハム特急(Birmingham Special)です。(私の訳では)、4時15分前にニューヨークのペンシルバニア駅で汽車に乗り、雑誌を読んでいるうちにボルチモア付近まで来るので食堂車で夕食、(注) カロライナで(朝食の)ハムエッグを食べるのは最高、汽笛が8つ鳴ってバーが開く頃にはテネシーはもうすぐそこ。

(注) バーミングハム特急はバージニア州ブリストル付近からテネシー州に入ったので、本物の列車の方 は南北カロライナ州を通過していないはずです。

 バーミングハム特急は1970年に廃止になりましたが、当時のターミナル駅はホテル「チャタヌガ・チューチュー」と生まれ変わり、客車のお部屋に泊まったり食堂車のレストランで食事することもできるそうです。構内には映画のモデルとなった機関車が展示されていますが、実にかわいらしい木炭機関車で、これがニューヨークとチャタヌガを結んでいたわけではありません。

 チャタヌガはアトランタとともに1880年代から南部の鉄道路線のハブとなり、1930年代のテネシー渓谷開発計画で弾みをつけ、当時は「南部の発電機(Dynamo of Dixie)」と呼ばれる工業都市になっていました。テネシーバレー鉄道博物館は、往時の鉄道の歴史を残しています。市内を6マイル行き操車場でグルッと向きを変えて戻ってくる1時間のツアーやチカモーガの史跡をじっくり観光して帰ってくる6時間ツアーなど蒸気機関車の旅もどうぞ。

 が、工業化はよいことばかりではありません。公害でスモッグが街を覆うようになって、1969年には全米最悪の大気汚染都市に指定されてしまいます。その後の不況では雇用機会も減り、1980年代には10%の人口減を記録しました。しかし、住民参加で観光を軸にまちづくりを進め、今では日本の自治体が次々に見学に訪れるほど暮らしやすい都市に生まれ変わったのです。

 ダウンタウンではマイカーの乗り入れが制限されていて、代わりに無料のシャトル電気バスが5分ごとに運行しています。ホテル「チャタヌガ・チューチュー」も都市再生計画の一環でした。ダウンタウンの北でテネシー川にかかるウォルナット通橋は老朽化して放置されていましたが、1993年には歩行者専用橋として15年ぶりに復活しました。

Walnut Street Bridge

 岸辺にはテネシー水族館ハンター・アメリカ美術館クリエーティブ・ディスカバリー博物館が建てられ、北には8マイル(13km)の遊歩道が続いています。水族館では、春から秋にかけ毎土曜日にはチャタヌガ・マーケットの出店ができてミュージシャンの公演も楽しめるそうです。対岸のクーリッジ公園には引退した蒸気船デルタクイーンが係留されて、これもホテルに変わりました。

 チャタヌガ動物園は、少し離れたワーナー公園(Warner Park)にあります。


チャタヌガ・e-マップ掲載先一覧

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