サンアントニオやラレド、マッカレンと南テキサス(サウステキサスプレーンズ地方)

San Antonio and Laredo, McAllen & South Texas Plains Region


 南テキサス地方を表すキーワードは「メキシコ」です。北端の大都会サンアントニオは、スペイン・メキシコ時代から現テキサス州=テハス(Tejas)県の県庁所在地でした。

 当時建てられた五つのカトリック伝道所のうち四つまでは、連邦政府の国立歴史公園に指定されているのですが、「アラモの砦」として有名なサン・アントニオ・デ・バレロ伝道所はテキサス州の宝…「テキサス共和国の娘たち」という初期テキサス人の末裔の団体が、州政府から管理を任されて守っています。

サンアントニオ伝道所国立歴史公園

Mission Concepción

Mission San José y San Miguel de Aguayo

Mission Espada

Mission San Juan Capistrano

 ところで、上の「メキシコの領土の変遷をごらんください。テキサス共和国は国境をリオグランデ川をと主張したのですが、実は、肝心の南テキサス住民がメキシコ人を自認していたようです。1840年には、たった10ヶ月のはかない夢でしたが、南テキサスとメキシコの北部三州の人々が立ち上がり、ラレドを首都にリオグランデ共和国という独立国を打ち立てたこともありました。

 

Our Lady of Guadalupe

First United Methodist Church

ラレドの教会

San Agustin Cathedral

 南テキサスが最終的にアメリカ領になったのは、メキシコが米墨戦争(1846-48年)で負けた結果です。ラレド市民は、住民投票をしてメキシコへの返還を求めたのですが、アメリカ政府に拒否され、多数の人々が川を渡り、対岸にヌエボラレド(新ラレド)を築いたのだそうです。

 ですから、南テキサスにヒスパニック(メキシコや中南米系)は、他の全米各地のように、急に、最近、増えてきたわけではありません。ラレドには、メキシコの英雄の銅像があります。教会も、スペイン時代に建てられたわけではないのに、いい感じのメキシコ情緒あふれる建物でしょう?

 さて、国境の南メキシコには、1965年に「マキラドーラ」という投資優遇制度ができて、国境沿いに外国企業の工場が立ち並びました。輸出特区で作る製品の原材料には、関税が免除されたのです。日系企業も例外ではありません。アメリカ側のラレドやマッカレンに事務所を構え、対岸(メキシコ側)のヌエボラレドやレイノサの町の工場を管理している会社も多いのです。マッカレンには駐在員の子弟のために補習授業校もあります。

ヒスパニック系人口の割合

0 % 0 - 5 % 5 - 50 %

50 - 85 % 85 - 100 %

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テキサス州 (⇒クリックで拡大)

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