海外赴任、留学、国際結婚…全米、特にアメリカの中西部や南部にお住まいの日本人の皆さんに、くらしやビジネスに役立つ情報とローカルなトピックスをご紹介し、ゆたかなアメリカ生活を送っていただくためのメール・マガジンです。

発行者: KJBusiness Consulting, LLC  電話:(859) 223-6449 Eメール: ty@kjbusiness.com   HP: www.jlifeus.com

アメリカ生活・e-ニュース

       アメリカ生活をゆたかにする無料情報紙

2009年12月15日(第42号)

★KDDI mobile ニュース★ 日本語スマートフォン HTC HERO 新登場 …日本語で音声検索、ワンタッチ(フリック)でカナ入力、GPSでナビや現在地の天気予報


1月の第3月曜日は連邦と全米50州の祝日ですが…

 もう一つの歴史:「キング牧師の日」ができるまで

 今年は還暦の年でした。60歳になって何気なく過去を振り返ると、自分の若い頃が「昭和史」となり、「平成」でさえ20年経って歴史の一部に組み込まれつつあるのを見て、当たり前なことなのに、あわててしまいます。年功序列の社会から飛び出して、若い人たちとお友だち付き合いさせていただいているせいでしょうか?

"I have a Dream"

"I've Been to the Mountaitop"

 今は中国などを相手に「人権外交」と威張っているアメリカですが、50年前には、特に南部諸州に露骨な人種差別法が存在していました。学校や公共の場所で白人と黒人が同席することが許されていなかったのです。キング牧師(Martin Luther King Jr.)は、黒人が白人と同等の公民権(Civil Rights)を得るための非暴力的抗議=公民権運動のリーダーとして歴史に名前を刻むことになります。


Rosa Parks (1955)

後方にMartin Luter KING

 アラバマ州モンゴメリーの市バスには、白人が前の列から順に座り黒人が後ろの列から座るルールがありました。満員で空いた列がなくなると、黒人は立たなければなりません。白人の席がなくなると、黒人最前列の人々は全員立って白人に席を譲らなければなりません。

 1955年12月1日、デパートで縫製をしていた42歳の黒人女性ローザ・パークスが、帰宅途中の市バスで、運転手の指示に従わず席を立たなかったために逮捕されてしまいます。そして、モンゴメリーの教会に着任したばかりで若干26歳のキング牧師らが呼びかけで、黒人市民の市バス・ボイコット運動が始まりました。

 初日はローザ公判日の12月5日(月)…バスに乗らず、乗り合いの車やタクシーも利用できなかった4万人の人々が、あいにくの雨の中を、歩いて通勤しました。1日で終わるはずだったボイコットは結局 381日間、連邦最高裁の控訴審で人種分離の違憲判決が出るまで続いたのだそうです。


 公民権運動の盛り上がりが頂点に達したのは1963年8月のワシントン大行進です。トム・ハンクスが主演した米ベビーブーマー(団塊)世代の青春回顧映画「フォレスト・ガンプ」にも登場した名場面…20万人の群集が行進し、奴隷解放を実現したリンカーン大統領の記念堂前に集まりました。キング牧師は、アメリカ人なら誰でも知っている「私には夢がある」という名演説を残します。

 私には夢がある。いつの日か、ジョージア州の赤い丘の上で、かつての奴隷の子達と、かつての奴隷の所有者達の子達が、兄弟愛というテーブルで席を共にできることを!!


 1968年4月、キング牧師はメンフィスで凶弾に倒れ39歳の若さで世を去ったのですが、前夜の演説には自らの死を予期しているような言葉が連ねられていました。

 前途に困難な日々が待っています。でも、もうどうでもよいのです。私は山の頂上に登ってきたのだから。皆さんと同じように、私も長生きがしたい。長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。神の意志を実現したいだけです。

 神は私が山に登るのを許され、私は頂上から約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。(翻訳:Wikipedia)


 さて、キング牧師の誕生日を祝日にしようという運動は暗殺事件の直後に始まりましたが、その道のりも、公民権運動と同様に、平坦ではありませんでした。1979年には下院で2票差で否決されてしまいます。6百万人の署名付きの史上最大の陳情が実り、連邦祝日として法制化されたのは1983年。全米50州が足並みを揃えて祝うようになったのは今世紀、ようやく2000年に入ってからのことでした。

1973

イリノイ州で全米初の「キング牧師の日」を制定

1983

連邦議会通過。レーガン大統領が法案に署名。

1986

連邦レベルの最初の「キング牧師の日」

1987

アリゾナ州知事(共和党)が前知事時代に制定された「キング牧師」の日を撤回

1989

通算44州が「キング牧師の日」を制定

1991

NFLが抗議のため 93年スーパーボウル開催地をアリゾナから他州に移動

1992

アリゾナ州住民投票で「キング牧師の日」復活⇒96年スーパーボウル開催

1993

名前は様々ながら全米50州が何らかの形で祝日化が実現

1999

ニューハンプシャーが「公民権の日」を公務員有給の「キング牧師の日」に変更

2000

ユタが「公民権の日」の名を「キング牧師の日」に変更

2000

サウスカロライナが「キング牧師の日」を州政府公務員の有給休日に指定

ただし今日に至るまで南北戦争関連3祝日と「キング牧師の日」に選択権あり

指定したサイズでウインドウを表示