シカゴの生活と観光・e-ガイド(Googleマップ版)できました
はストリートビュー
は動画のマーク
Googleマップは、お店や観光地を表示するのにとても便利ですが、手製の地図と違って、地図上には名前を書き込めないところが玉にキズです。そこで、どうしたら皆さんに使いやすい地図を作ることができるか、テネシー州周辺のe-ガイドを改訂しながら工夫を重ねて来たのですが、だいぶ自信がついたので、一挙に大都市のシカゴに挑戦してみました。これで、皆さんの反響がよければ、ほかの都市も同じように順次改訂していくつもりです。以前の手製の地図も、引き続きごらんになれます。
◆シカゴ生活 ◆シカゴ都心 ◆シカゴ市内北部 ◆シカゴ市内南部 ◆シカゴ近郊
(例)
ミツワ・マーケットプレイスがあるアーリントンハイツ周辺の生活マップ
各ページには地図上に表示された場所の索引がついています
記事中に各地の動画を挿入すると重たくなるので、動画はなるべくGoogleマップの中に入れました。シカゴ一のショッピング街マグニフィセント・マイルも、下線部をクリックすると動画が出てきてお買物気分を存分に楽しんでいただけます。ただし、イリノイ-ミシガン運河は今度作成した地図では地域外ですから、動画は()マークをクリックしてごらんください。
Googleマップの「ストリートビュー」をお使いになったことはありますか?()マークをクリックして、リンカーンパークから眺めるダウンタウンのスカイラインをごらんください。どの場所からどの方向を眺めたのか、地図上で一目瞭然でしょう?
1829年にイリノイ州議会がイリノイ-ミシガン運河の建設を決めたのが、シカゴの歴史のスタートです。イリノイ川とシカゴ川を結ぶだけで、ミシシッピー川-五大湖-エリー運河-ニューヨークの水運が一つにつながったからです。氷河時代の末期には五大湖の水が南に流れていた時代もあったくらいですから、オハイオやインディアナでもそうでしたが、太古の流路をたどれば、運河を掘るのもさほど難しくはないのです。
アメリカの鉄道網
(1918年) |
運河は1848年に完成し、シカゴはシンシナティを超える農畜産物の集積地に成長していきます。続いて、南北戦争が終わり鉄道の時代が訪れると、鉄道網はシカゴを中心に伸び、シカゴはニューヨークに次ぐ全米第2位の都市へと一気に成長していったのです。
シカゴ大火の焼失地域
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そんな矢先の1871年に大火が起き、市内中心部のほぼ全域が焼失してしまいます。しかし、災禍からの復興は、シカゴにさらなる発展をもたらしました。市は木造建築を禁止し、計画的な都市建設を進めたのです。
その集大成が1893年に開かれたコロンブスの新大陸発見400周年を祝う万博でした。これを契機に、ニューヨークとの摩天楼建設競争が始まり、鉄鋼需要が増えてミシガン湖南岸で鉄鋼業が発展します。
東欧や南欧系の移民が次々に流入してきました。西部で迫害された中国人も逃げてきました。移民制限が始まってからは、差別に耐えかねた南部の黒人の大移動があり、労働力不足を穴埋めしました。
こうして、エスニックタウン(民族コミュニティ)が市内各地にパッチワークのように残る大都会シカゴが誕生しました。詳しい歴史は、また日をあらためて…。
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