ピッツバーグは「金ぴか時代」の産業交通の要
スーパーリッチが残した文化遺産がいっぱい
University
of Pittsburgh |
アメリカ鉄鋼産業の輝かしい歴史は色あせても、ピッツバーグで一番高い摩天楼は、カーネギー鉄鋼会社の流れを汲むUSスチールのビルです。二番目が、アルコアやガルフ石油、ウェスチングハウス、ロックウェルなどの大企業を生み育て、USスチール、ケチャップのハインツ、石炭化学のコッパーズなどピッツバーグの大企業を傘下に収めたメロン財閥のBNYメロン銀行ビル。
Carnegie
Mellon University |
ピッツバーグは、南北戦争後、日本では明治時代に当たる第二次産業革命期=いわゆる「金ぴか時代」に大発展しました。陰口で「泥棒貴族」と呼ばれた大資本家も多数生まれて、ピッツバーグには三つの優秀な大学と数え切れない博物館や美術館が残されました。市の人口はたった30万人ですが、都市圏で見るとピッツバーグは全米22位の235万人。中西部では、シカゴ、デトロイト、セントルイスに次ぐ大都会です。
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ピッツバーグ・e-ガイド
ピット砦跡の州立公園はアレゲニー川とモノンガヒラ川がオハイオ川に注ぐ合流点(⇒拡大) |
クリーブランド〜ピッツバーグはペンシルバニア-オハイオ運河
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五大湖岸の鉄鋼業は、スペリオル湖の鉄鉱石とアパラチアの石炭が結びついて発展しましたが、ピッツバーグは鉄鋼の原料と燃料が行き交う輸送路の要だったのです。
バッファローやロチェスターには、ニューヨークからハドソン川を上り、アルバニーから運河でエリー湖に出るルートが早くにできましたが、ピッツバーグにはワシントンDCやフィラデルフィアから、アパラチア山脈を運河と鉄道で越える産業ルートが建設され、今でもピッツバーグ周辺地方の観光のキーワードとなっています。
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ワシントンDCルート ===
French
& Indian War (⇒拡大) |
独立戦争(1775-83年)に先立つ約20年前に、大西洋岸に沿って植民地を建設したイギリスに対して、カナダから五大湖やミシシッピー川の水運を利用して進出したフランスと内陸のインディアンが手を組んで、フレンチ・インディアン戦争(1754–63年)が起きました。
その主戦場の一つとなったのが現在のピッツバーグ周辺で、その名前も当時の英宰相ピットに由来しています。イギリス側でバージニア民兵隊を指揮したのは、後の初代アメリカ大統領で、若干21歳のワシントン少佐でした。
"Falling
Water" 落水荘 |
少佐は、今は首都の桜並木で知られるポトマック川を上り、カンバーランド山峡()を抜け、モノンガヒラ川支流のヨギゲニー川を経由して、フランス軍のデュケイン砦を目指しました。今はラフティング(激流下り)でにぎわうオハイオパイル州立公園の一角には、有名な建築家ライトの作品の中でも最高傑作といわれる落水荘があります。
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アレゲニー山地・e-ガイド
このルートには、ポトマック川に沿ってチェサピーク-オハイオ運河(1831年開通)が掘削され、カンバーランドで鉄道に連結しました。運河は、今は国立史跡公園に指定されています。ワシントン郊外のジョージタウンでは、ラバが曳くキャナルボート()に乗ることができます。ウェストメリーランドには、珍しい運河のトンネルもあります。
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ウェスタンメリーランド・e-ガイド
Historic
National Road
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1839年にはカンバーランドから砂利舗装のナショナルロードが開通、夢と不安を抱いた西部開拓者の幌馬車隊が次々に通過していきました。
5月第3週末のナショナルロードのお祭り |
現在の国道40号線のルートで、ピッツバーグの南ビールスビルを通り、ウェストバージニア州ホイーリングから、オハイオ州コロンバス、インディアナポリスを経由してセントルイス方面に向かう道でした。沿線各地には、胸には乳飲み子を抱え、裾には幼子がすがりつかれた「西部路のマドンナ像()」が建てられています。
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ホイーリング・e-ガイド
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フィラデルフィアルート===
Pennsylvania
Canal & Allegheny Portage Railroad
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ペンシルバニア州も、運河網の建設には他州以上にがんばったのですが、アパラチア最西端のアレゲニー山地の尾根には都合よく運河を掘れる峡谷がありません。
しかも、東西の運河を鉄道で結ぼうにも、当時の機関車には登坂力が足りませんでした。
そこで、1834年にキャナルボートをロープで引っ張り上げるケーブルカーを10組組み込んだ58qの鉄道が作られました。
Horseshoe
Curve 航空写真 |
これがアレゲニー連水鉄道()で、エリー運河経由23日かかっていたフィラデルフィア‐ピッツバーグの旅程がわずか4日に短縮されました。
アメリカ初の鉄道トンネルが掘られ、事故防止のためケーブルにワイヤーロープが導入されるなど技術史的にも意義深く、廃線後も国立史跡公園として保存されています。
代って1854年にデビューしたペンシルバニア鉄道も、ウマの蹄鉄型に大きくカーブした登坂路線()など見どころが多く、全米の鉄道ファンの人気を集めています。
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アレゲニー山地・e-ガイド
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