日本の安全保障とアメリカの極東戦略
「坂の上の雲」からTPP(環太平洋経済連携協定)へ
年末に3年連続で放送されてきたNHK大河ドラマ「坂の上の雲」が終わります。特に、今年は、満州(中国東北地方)を足がかりに太平洋進出を企んだ大国ロシアに日本が挑んだ日露戦争の壮絶な戦闘場面が続きました。
日露戦争で、アメリカは講和を急ぐ日本の後押しをしてくれました。その後、日米は敵味方に分かれて戦い、今また同盟国として協力して安全保障に取り組んでいます。中国が軍事経済大国となり、北朝鮮情勢の緊張も高まる中で、三時代の極東のパワーバランスの変化を三つの地図でごらんいただきたいと思います。
≪日露戦争(1904〜05年)時代≫…ロシアの進出
ペリーが来航したのは1853年、5年後に日米は修好条約を結びました。徳川幕府はさらに10年後の1968年に倒れましたが、その間、アメリカでは南北戦争(1861〜65年)が起きて明治維新どころではありませんでした。
日清戦争の経緯には、キーポイントの一つに儒教的な名文論が絡んでいて、現代人には理解しがたいところがあります。朝鮮王朝は、徳川幕府とは、対馬藩経由で玉虫色のお付き合いをしていましたが、中国皇帝と同じく「皇」を名乗る天皇の明治政府と近代的な外交関係を築くことは拒絶したのです。
朝鮮は、1866年にはフランス、1871年にはアメリカと交戦し、その後も鎖国を貫こうとしたほどですが、やがて日本とは日朝修好条規を結ぶと、王朝内で親日開国派と親清鎖国派が対立するようになって、日清戦争に発展しました。
ロシアは、1860年に、清と英仏連合軍が戦ったアロー戦争の調停に乗じて沿海州を奪い取り、ウラジオストックに不凍港を築いて、太平洋進出の第一歩を踏み出します。1895年には、独仏とともに日本に干渉して、日清戦争の戦果として台湾とともに得た遼東半島を清に返還させました。
シベリア鉄道の着工は1891年、モスクワからハバロフスクまで全通したのは実に日露戦争中の1904年でしたが、ショートカットの東清鉄道とハルビンから旅順への支線は前年までに開通していました。
≪太平洋戦争(1941〜45年)前夜≫…日本の進出
アメリカの西海岸に本格的な移住が始まったのは、米墨戦争(1846〜48年)終了と同時に、手に入れたばかりのカリフォルニア州で金が発見されてからです。1852年にはサンフランシスコ・ベイにオークランド港が開港しました。
1890年には全米でインディアンの抵抗が終わり、本土にフロンティアが消滅したことから、アメリカの帝国主義的海外進出が本格化します。1898年には、米西戦争の末に、カリブ海ではキューバとプエルトリコ、太平洋ではフィリピンとグァムを獲得します。植民者の求めに応じて、ハワイ王国を併合してしまったのも、この年です。
1903年には、コロンビアから、傀儡(かいらい)のパナマ共和国を独立させ、アメリカの管理下で工事を進め、1914年にパナマ運河を完成させました。
日本は、日露戦争の戦果で、南樺太のほか、遼東半島先端の関東州(旅順と大連)の租借権と長春から南の東清鉄道の経営権を獲得します。続いて、1910年には朝鮮(大韓帝国)を併合し、1919年には第一次大戦で負けたドイツからマーシャル諸島を獲得しました。昭和に入り、満州国を設立したのは1932年、泥沼の日中戦争に踏み込んだのは1937年のことです。
1941年には、アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の経済封鎖=ABCD包囲網に苦しみ、太平洋戦争に突き進みました。
≪現代≫…中国の進出
中国を中心に描いた地図を見ると、現代中国が軍備を強化して太平洋に進出したい事情と、それを封じ込めたいアメリカの戦略が一目で分かります。
東シナ海から太平洋に出る道は、沖縄諸島が点々と行く手をふさいでいます。(注)南シナ海から太平洋に出る道の門番フィリピンは、旧宗主国のアメリカと(微妙ながらも)強い同盟関係。そのほかの南シナ海周辺各国といえば、申し合わせたようにTPP協議にこぞって参加しています。
ロシアに沿海州を取り上げられてしまった中国に、日本海への出口はありませんから、簡単に北朝鮮を見離すことはできません。ミャンマーの軍事政権とは、これまで仲良くしてきましたが、最近はミャンマーとアメリカが歩み寄る動きを見せています。
先日は、中国のチベット自治区と国境を接するブータンの国王夫妻が来日した際に、防衛大臣がレセプションを欠席する騒ぎがありましたが、ブータンやネパールも日本が友好国として、安全保障上も大切にしたい国です。
(注)
南シナ海情勢
西沙諸島は、フランスがインドシナを去った後、中国と南ベトナムが半分ずつ領有しましたが、南ベトナム崩壊後、中国が西半分も実効支配するようになっています。南沙諸島は各国が領有権を主張して対立していますが、2011年には中国の積極的な進出が目立ち緊張が高まっています。
|