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2014年5月15日(第95号)


イエローストーン国立公園は巨大な休火山

 北部大平原と北部山岳部の観光・e-マップ A

  アメリカ北部の大平原や山岳部の観光ガイド第2部は、大本命のイエローストーン国立公園はじめロッキー山脈北部やミズーリ川など、19世紀初頭にルイス・クラーク探検隊が通った道筋の周辺をご紹介します。


ロッキー山脈


ロッキー山脈の火山と氷河

イエローストーン国立公園(ワイオミング州北西部)

グランドティトン国立公園(ワイオミング州北西部)

クレイターズ・オブ・ザ・ムーン国定公園(アイダホ州南部)

グレイシャー国立公園(モンタナ州北西部)

火口210万年前130万年前65万年前現マグマ溜まり

 イエローストーン(動画)は、全米で最も古い国立公園です。インディアンから土地を奪うのに熱心だったシェリダン将軍が進んで保護しようと言い出したほど美しい自然です。

 しかし、反面では巨大な休火山…火口の大きさは55X72qで、210万年前、130万年前、64万年前にも大爆発していて、また同規模の噴火が起きたら、火山灰が世界の空を覆って気温が10度下がり、農業が壊滅し人類は困難に直面するという恐ろしい顔も持っています。詳しくは、USGS(アメリカ地質調査所)の説明をごらんください。

 名物の間欠泉の数々も、マグマ溜まりの周辺の水脈が熱せられて地上に現れたものです。

 日本人に人気のスポットは、昔は45分ごとに忠実に熱水を噴き上げていたオールドフェイスフル間欠泉や、30分でボコボコと泥岩が煮えたぎるマッドポットやカラフルな温泉を見て回るファウンテンペイントポットのトレイル。キャニオンビレッジは、イエローストーン川の大峡谷と上滝・下滝の絶景を見るポイントです。

⇒ クリックで拡大

 イエローストーンの大きな火口湖は、イエローストーン川の水源で、ここに降る雨水はミズーリ川経由でミシシッピー川を下る長い旅を経てメキシコ湾に注ぎます。

 しかし、火口湖の南の湖岸沿いには大陸分水嶺が走っていて、国立公園の南東部に降る雨水は、スネーク川からコロンビア川を経て太平洋に注ぎます。スケールの大きな話ですね。

 イェローストーンの巨大火口は、ハワイ諸島と同様に地下のホットスポットが原因で、プレートの移動につれて1610万年前から少しずつ移動してきました。

 スネーク川上流のクレーターズ・オブ・ザ・ムーン国定公園(動画)も、同じホットスポットの活動でできた溶岩原と考えられます。


Grand Teton National Park (⇒拡大)

 イエローストーンの南口を出ると、そこはグランドティトン国立公園(動画)…というか、こちらの方が玄関口。イエローストーンにも空港はありますが、時間に余裕がある方は、グランドティトンのジャクソンホール空港に下りて、レンタカーでイエローストーンに向かうといいでしょう。

John Moulton Barn()

 スネーク川が流れるジャクソンホールの谷間から、氷河で鋭く削られたカテドラル・グループの8つの1万2千フィート(3657m)級の山を眺めましょう。谷間からの高低差も7千フィート(2133m)あります。昔々モルモン教徒の入植者が建てた納屋をカメラアングルに入れて写した写真が最高とされています。

 その北…カスケードキャニオンの絶景ポイント()には、対岸のジェニー湖ビジターセンターからシャトルボートが運行しています。南では、スキーリゾートのティートンビレッジ()から空中ケーブルに乗ってみてはいかが?3185mまで楽に上れます。


Glacier National Park (⇒拡大)

 グレイシャー国立公園(動画)はモンタナ州の北東部にあります。一番近い大都市はどこかというと、実はカナダのカルガリー。それでも180マイル(290q)の距離と国境の手続きがありますから、麓のグレイシャーパーク空港か130マイル南のミズーラ空港を利用しましょう。

 グレイシャーは英語で「氷河」ですが、氷河のほかにも見るものはいっぱいあります。きりがないので人気スポットのトップ5だけご紹介しましょう。

 「レイク・マクドナルド」と「セントマリー湖」は国立公園の東西の大きな湖で、それぞれの湖岸には宿泊施設もあります。

 その二つの湖を結び、大陸分水嶺のローガン峠を越える道が「ゴーイング・トゥー・ザ・サン・ロード」…土木建築史に残る大工事の末、1932年に完成しました。国立歴史ランドマークに指定されています。

Red Bus

 運転は他人にまかせて景色を楽しみたい方のためには、1930年代に走っていた由緒ある観光バスが復刻されて、2001年から園内を周遊しています。

 その途中に「ガーデンウォール」という絶壁があります。夏は足元に花が咲き乱れて美しい場所。絶壁の中段にハイキング道がありますが、高所恐怖症の方だったら、足がすくんでしまうかもしれません。

 最後に、流氷のような氷片が浮かぶアイスバーグ(氷山)湖のトレイルも人気です。拡大地図上のそれぞれの場所にはマーカーをつけておきました。

 遠くから見ると「ゴーイング・トゥー・ザ・サン・ロード」も、下の写真でごらんの通り目もくらむような斜面ですが、グレイシャー国立公園名物のマウンテン・ゴートは、おすまし顔で駆け抜けて行きます。そういえば、園内には300頭のグリズリーがいるそうですから気をつけてください。

Going-to-the- Sun Road

Mountain Goat

Grizzly Bear


ルイス・クラーク探検隊のルート


ミズーリ川やイエローストーン川上流からスネーク川-コロンビア川

Lewis and Clark Expedition (1804~06)  (⇒拡大)

 ルイス・クラーク探検隊の当時は、最も西の白人拠点でも現セントルイスからわずか60マイル(100q弱)の所でしたから、ミズーリ川沿いに歩いて上るだけで探検でした。出発は1804年5月でしたが、対岸でナイオブララ川とミズーリ川が合流する現アイオワ州のスーシティ付近に着いた時はもう8月。ここで、一行はスー族の中でも半農半猟で穏健な西ダコタ(ヤンクトン)族と出会います。

 一行は現ビスマルクで西岸に渡河しました。この地には、後にリンカーン砦ができ、カスター隊長の第7騎兵隊が駐屯します。ここから西進してイエローストーン川沿いに上ると、カスター隊が全滅した有名なリトルビッグホーンの戦いの戦場です。

 ラコタ・スー族を除き、インディアンは友好的でした。探検隊は、ナイフ川のマンダン族やヒダツァ族の村の近くで11月から翌1805年4月まで越冬します。ミズーリ川は、ユニオン砦交易所の付近でイエローストーン川と分岐します。

 往路は全員がボートでミズーリ川を上りました。途中、断崖が続くフォートベントンからフォートペック湖まで149マイル(240q)の行程は、上ミズーリ川断崖国定公園(動画)となり、今でもアメリカンエルクの群れやオオツノヒツジ、キジオライチョウの姿を見ることができます。

 目的を果たした一行は、翌年の帰途で二手に分かれ、クラークら4人はイエローストーン川沿いの道をたどります。

 イエローストーン川沿いのモンタナ最大の都市(といっても人口10万人の)ビリングス周辺には2つの国定公園があります。

 ポンペイズピラーの奇岩は「ポンペイの柱」と訳せますが、命名者はクラークで、正しくは「ポンピー(Pompy)ちゃんの塔」だったそうです。さらに解説すると、ポンピーはショショーニ族の言葉で「幼い酋長」…探検隊の通訳として同行していたインディアンの女性の赤ちゃんの愛称。

 クラークの署名が残ってますが、それだけで国定公園(ナショナルモニュメント)に指定されたわけではありません。ここから見下ろすイエローストーン川の眺めは実に見事です。

Bighorn Canyon ()

 ビッグホーン国立保養公園(動画)は、ビッグホーン川の中流。ビッグホーン(オオツノヒツジ)が両岸の切り立った断崖を飛び跳ねています。

 連邦政府の土地管理局が設けたプライア山脈野生馬生息地(動画)の1/4の地域も含まれていますから、インディアン戦士が乗馬した野生馬マスタングの姿を目にすることもできます。

 マスタングは、スペイン人が持ち込んだウマが野生化し大平原で繁殖したもので、アメリカではロデオや牧場で最も普遍的に使われるアメリカン・クォーターホース種のウマも、マスタングとサラブレッドなどを交配して誕生しました。

 ビッグホーン山脈は、最後まで抵抗したクレージーホース酋長らの本拠パウダー川地方を挟み、スー族の聖地ブラックヒルズと相対しています。カスター隊長が戦死したのも山麓の支流リトルビッグホーン川のほとりで、戦址は国定公園ですが記念碑が建っているだけです。当時のインディアン戦争に思いをはせるなら、砦も再現されている南のフィル・カーニー砦(動画)がお勧めです。

 少し川を離れロッキー山脈の谷間に行けば、19世紀…西部劇時代のモンタナの風景を垣間見ることもできます。

 バージニアシティ(動画)はゴールドラッシュで栄えた町。現在の住民は200人弱で半ばゴーストタウンですが、当時の町並みが残されています。

 グラント-コールズ牧場国立史跡動画がある山間の盆地には、太平洋に注ぐコロンビア川の支流クラークフォークが流れています。

 1859年にこの地に牧場を開いたのは、カナダ人のグラントでした。グラントは、先のない毛皮商人の仕事の見切りをつけ、オレゴントレイルで幌馬車隊の疲れた牛馬2頭と元気な牛馬1頭と交換して財を成しました。疲れた牛馬は休養させてよく食べさせ、翌年は元気にして開拓者らに売りつけることができたのです。

 ゴールドラッシュで周辺に英語を話す探鉱者が群がり出すと、フランス語のグラントにはモンタナも住みにくくなってきたようです。1866年に、あっさり牧場王コールズに売ってカナダに帰ってしまいました。

 この地方には、ネズパース族が追っ手の陸軍と戦ったビッグホール国立戦址公園(動画もあります。

 ネズパース国立歴史公園は、ネズパース族の文化やジョセフ酋長が試みたカナダ逃避行についてまじめに学ぶ公園で、観光的には面白くないかもしれません。ホワイトバードの古戦場などは、むしろ、釣りやアウトドアの行楽でにぎわっています。