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2014年6月15日(第96号)


PGA初優勝…ニクラウスがべた褒めの松山選手

 12日からパインハーストの全米オープンに挑戦!!

 6月1日といえば、まだ10日ほど前のことですが、テレビにかじりついて松山選手を応援していた方はおられませんか?きっと今年中には優勝してくれると期待していましたが、マスターズに2回優勝したババ・ワトソンや現在世界ランキング1位のアダム・スコットを敵に回して勝ってしまうのですから大物です。

 優勝したメモリアルトーナメントは、1976年にジャック・ニクラウスが、マスターズに負けない大会を主催したいということで、自ら設計し生まれ故郷にできたミュアフィールドビレッジ・ゴルフコースで始めた由緒ある大会です。

 だから、松山選手に優勝カップを渡したのもニクラウスご本人。優勝会見にも同席して、英語が苦手な松山選手をフォローしてべた褒め…(20歳のジョーダン・スピースとともに)タイガー後の10〜15年をリードしていく選手だと。2000年の全米選手権で引退する還暦のニクラウスが予選をタイガーと回り、その後の時代をタイガーに託したことを思い出しました。

 タイガーの時代を引き継ぐ選手なら上手なだけではなく、いわゆる「メイクドラマ」が必要ですが、その点でも松山選手は合格です。

 メモリアルトーナメントでは、最終日の重圧でスコットはずるずると後退。ワトソンもティーショットが悪く15番で痛恨のOB。ほぼ同じ頃に松山選手も、16番で池ポチャのダブルボギー。さらに17番でボギー。

 ここで、既に2時間も前にホールアウトしていたケビン・ナがトップに立ちます。最終日に爆発的なスコアを出し、優勝圏内に顔を出してクラブハウスで待機していました。後でプレーする選手がスコアを崩しタナボタで優勝するケースは時々目にしますが、まさかワトソンとスコットのような絶好調のふたりが自滅するとは思いがけないことでした。

 松山選手が同スコアで首位タイになり、プレーオフのチャンスが回ってきたのでナは練習場に向かいました。さらに、松山選手が17番でスコアを落とし、ついに単独トップ。このままプレーオフなしで優勝できると思ったに違いありません。しかし、ここからが「メークドラマ」…18番ホールはコース一の難関ホールですが、松山選手はここで3日間バーディを取り続けていたのです。

 18番のティーショットが少し曲がってしまいました。「あーっ」といった表情で思わずドライバーを地面に叩き付ける松山選手…しかし、打球はラフでうまい具合に跳ねてフェアウェーへコロコロと出てきます。途端に「ホッ」として歩き出す松山選手…しかし、手にしていたクラブの柄がポロッと折れてしまいます(そんなに強く叩かなかったのに?)。

 でも、そんな事件は気にしない松山選手は、18番を4日連続バーディという新記録を作ってナとのプレーオフに臨みました。そこで取り出したクラブがドライバーではなくて、スプーン(3番ウッド)…ルールではプレーオフ前にクラブを取り換えられるのですが、この大物ルーキーはいい意味で些事にこだわらない性格です。

 1打目はバンカー、2打目は観客の足に当ててグリーン脇のラフ。最後はロングパットで綱渡りでしたが、見事にパーを決めて優勝。ナは、ティーショットをコース脇のクリークに落としていましたが、松山選手はそれも知らずにプレーしていたそうです。本当にマイペースなんですね。

 先日のプレーをごらんにならなかった方は次のハイライト動画をどうぞ!!

 ニクラウスのお褒めの言葉を聞きたい方は次の動画をどうぞ!!  記者会見では、もっともっとべた褒めでした。

 さて、いよいよ始まる全米オープン。また、松山選手の応援で忙しくなります。14日はワールドカップの対コートジボワール戦もあります。

 全米オープンの会場は、パインハーストの二番コース。内陸ですが、太古の昔には海岸線だったサンドヒルと呼ばれる地帯にあり、フェアウェーバンカーも砂浜が自然に露出したように見える難コースです。