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2014年6月15日(第96号)


7月1日はカナダデー…カナダの"憲法"記念日です

 「赤毛のアンとプリンスエドワード島・e-マップ」誕生

 NHKの朝ドラ「花子とアン」のおかげで、今年の夏は、例年以上にカナダのプリンスエドワード島に観光に出かける人が増えることでしょう。

 そこで、今回は皆さんにプリンスエドワード島の観光なら何でも分かる「赤毛のアンとプリンスエドワード島・e-マップ」をご用意しました。各地の案内には、YouTubeの動画やWikipediaの画像がふんだんに入っています。埋め込み地図は小さすぎて見にくいので、拡大してごらんください。

右上コーナーの マークをクリックし地図を拡大してごらんください。

 さらに、地域ごとの見どころをまとめた案内地図も作りました。併せてご利用ください。

 プリンスエドワード島はカナダの中では飛び抜けて小さな州…東西わずか180qの細長い島で、中央部は南北40qの幅しかありませんから、日系の旅行社に頼んだりレンタカーを借りて忙しく走り回ったりしたら、かなりコンパクトな観光が楽しめます。


赤毛のアンの故郷…キャベンディッシュ周辺


 父母を失って孤児院にいたアンは、11歳の時にマシューとマリラの兄妹に引き取られグリーンゲイブルズの農場で暮らすようになりました…と、これはフィクションの世界ですが、「赤毛のアン」の作者モンゴメリも、生後21ヶ月で母親が病死し7歳の時に父親が辺境に移住。セントラル・プリンスエドワード島地方北部のキャベンディッシュで、母方の祖父母に預けられて育ちました。

 グリーンゲイブルズは近所の従兄弟一家の農場で、小説のモデルになった緑の切妻屋根(Gable)の家も実在し、二階には「アンの部屋」と名付けられた部屋もあります(⇒間取り図)。「恋人の小径」や「お化けの森」も散策しましょう。その西に隣接する「アボンリー村」はテーマパークで、こちらでは小説に登場する村人たちとにぎやかに「赤毛のアン」の世界を楽しんでください。

 実在ベースでいえば、パークコーナーにあるモンゴメリの母方の叔母の家も重要な史跡で、今は「赤毛のアン博物館」となっています。ここはモンゴメリ自身が挙式した記念の地で、晩年の作品「パットの銀の森屋敷」の中に描かれました。ここには、ブライトリバー駅に降り立ったアンが初めてグリーンゲイブルズに向かう道すがらに見た[輝く湖水」があり、その時の「マシューの馬車」で湖畔を回るアトラクションもあります。

Anne and Mathew

Green Gables

Anne's Room

Lake of Shining Water

 小説に登場するブライトリバー駅のモデルはそこから20q、ニューロンドンのモンゴメリの生家からでも10qも離れているケンジントン駅かもしれません。それでもアンにゆかりの地には最寄りの鉄道駅だったからです。鉄道は今は廃線となりサイクリングロード(⇒地図ガイド)に再利用されていますが、駅舎は健在ですから、立ち寄って記念写真をお撮りください。

作品名

英語の原題

アンの年齢

作品の主な舞台

赤毛のアン

Anne of Green Gables

11~16

*グリーンゲイブルズの家

アンの青春

Anne of Avonlea

16~18

*アボンリー村

アンの愛情

Anne of the Island

18~22

*キングスポート(大学時代)

アンの幸福

Anne of Windy Willows

22~25

*サマーサイド(婚約時代)

アンの夢の家

Anne's House of Dreams

25~27

*フォーウィンズ(新婚時代)

銀の森のパット

Pat of Silver Bush

*パットお嬢さんの話

 まとめて説明すると、*アボンリー村の*グリーンゲイブルズの家は、モンゴメリの母方の一家が住んでいたキャベンディッシュの農場がモデル。大学時代を過ごした*キングスポートは、カナダ沿海州の中心都市のノバスコシア州ハリファックス。

 アンが中学で校長先生をしていた*サマーサイド市は実在のプリンスエドワード島第二の都市で人口1万5千人…付近の「ロワーベデック・スクール」には、モンゴメリが23歳の時に赴任しています。その前に教鞭を取っていたベディファッドでも、下宿先の「牧師館」が博物館として保存されています。

 アンが新婚時代を過ごす*フォーウィンズは、モンゴメリの生家から遠くないフレンチリバーの漁村。*パットお嬢さんの話は、そこから少し先のパークコーナーの叔母さんのお屋敷で展開します。


プリンスエドワード島国立公園とダルベイ・バイ・ザ・シー


Prince Edward Island National Park

 プリンスエドワード島国立公園は、キャベンリッジの西のニューロンドン湾のあたりから東はグリニッジまで60qに及ぶ砂丘状の北部海岸です。スコットランド人の血を引く多くの島民には、ご先祖様の祖国を偲ばせる懐かしい風景に違いありません。

Dalvay-by-the-Sea

 そのちょうど中ほどにあるのが数々の映画のロケ地として有名なダルベイ・バイ・ザ・シーというリゾートで、2011年にはウィリアム王子夫妻がご結婚から2ヶ月で初めて行った公式外国訪問で宿泊されたホテルとしても脚光を浴びました。

 1895年にスコットランド移民で石油で成功したアメリカ人が別荘として建てました。ダルベイは少年時代を過ごした祖国の地名なのだそうです。


シャーロットタウンとコンフェデレーション橋


St. Dunstan's Cathedral 

 シャーロットタウンは州都といっても、都市圏全体でわずか6万人弱の小さな港町ですが、州の人口が14万人ですから約4割が州都に住んでいる勘定です。カナダでは、三つの準州を除き飛び抜けて人口の少ない州ですが、自慢は1864年9月、現在のカナダ連邦の基礎となる憲法を起草する会議がシャーロットタウンで開かれたことです。

 今年もカナダデー(7月1日)が近づいたので、少し詳しく書いてみましょう。カナダデ―は「カナダの憲法記念日」あるいは「カナダの独立記念日」というべき特に重要な祝日です。

Charlottetown

 当時のイギリスは、アメリカの南北戦争(1861〜65年)の戦火が飛び火することを恐れ、プリンスエドワード島とノバスコシア、ニューブランズウィック、ニューファンドランドの沿海植民地が同盟を組み、自力の経済力と軍事力を強化することを望んでいました。

 しかし、会議の進行は、話を聞きつけて後から加わったケベックとオンタリオの代表団がリードします。しかも、1867年7月1日にめでたく自治領のカナダ連邦が誕生した際に、プリンスエドワード島は債務の整理がつかず加入は6年後の7月1日まで先延ばしになった経緯があります。

 というわけで、少し無理もありますが、それでもカナダ憲法(コンフェデレーション)はシャーロットタウン生まれ…「赤毛のアン」のミュージカルを上演する劇場は「コンフェデレーション舞台芸術センター」、鉄道の廃線跡を再利用したサイクリングロードは「コンフェデレーション・トレイル」、ニューブランズウィック州とプリンスエドワード島を結んでいる橋は「コンフェデレーション橋」。

Confederation Bridge

 コンフェデレーション橋は、1997年に完成し、フェリーに代わって本土とプリンスエドワード島をつなぐ命綱になりました。ノバスコシア州に渡るフェリーは、その後も運行を続けていますが、ノーサンバーランド海峡は凍結するので冬は休業です。

 この橋はカナダでは最長。瀬戸大橋の水上部分を合計してもまだ少し足りない長さで、水上にかかる橋としては世界でも10位にランクインします。島側の橋のたもとにある「ゲートウェービレッジ」では、人形工房が催す「アンのコスプレで記念写真」のアトラクションが人気を集めています。

 ここは、シャーロットタウンのウォーターフロント「ピークトワーフ」やキャベンディッシュの「キャベンディッシュ・ボードウォーク」とともにプリンスエドワードアイランドの観光ショッピングの3大スポット。言い忘れていましたが、シャーロットタウンではロブスターを食べ忘れないでくださいね…私はトロント駐在時代に、カナダ沿海州に度々出張する機会がありましたが、地元の人々がいうには「昔はロブスターのほかには何も食べる物がなかったものです」と。


エバンジェリン地方とアカディア人


アカディア人の旗

 プリンスエドワード島西部は、エバンジェリン地方と呼ばれることがあります。「エバンジェリン」とは、17世紀にフランスからアカディア地方(現在のカナダ沿海州)に移民してきた人々が、フレンチ-インディアンア戦争(1755〜63年)の戦乱の最中、イギリスによって故郷を追われた悲劇をうたった叙事詩のヒロインの名前です。

 アカディア人の多くはフランスに送還されるか、現ルイジアナ州の南部に移住してケイジャン(語源はアケイディアン)という独特の文化を誕生させました。しかし、子孫の代になっても帰還の夢を捨てず、カナダに戻ってきた人々もいます。一部がプリンスエドワード島のエバンジェリン地方に住みつきました。

カナダ沿海州 (maritimes)

 この地方では、ケベック州のフランス語とも違う強くなまったフランス語が通用しています。プリンスエドワード島には18世紀に来たスコットランド系の移民がケルト民族の音楽やダンスを持ち込みましたが、アカディア人の子孫たちはそれも受け入れ、一方で少しケイジャンっぽいところがあるアカディア料理の伝統を守り、ユニークな文化を発展させています。

 2009年の日加合作映画「アンを探して(⇒予告編)」のロケ地も点在しています。17歳の日本人の少女が、灯台を手がかりにして祖母の思い出の人を探し歩くストーリーです。


灯台とポテトと蒸留酒


Wood Islands Lighthouse

 アンやモンゴメリと縁が薄いのでご案内の順序が最後になりましたが、プリンスエドワード島の東部にも観光名所はたくさんあります。例えば「オーウェンズコーナー歴史村」一つをとってもシャーロットタウンからわずか25qの近さですから、このあたりはシャーロットタウン郊外の行楽地というべきかもしれません。キャベンディッシュのテーマパーク「アボンリー村」に比べると学習要素が強い19世紀の農村の生活を再現した歴史村です。

 灯台も全島のあらゆる岬にあります(⇒プリンスエドワード島灯台協会)が、シャーロットタウンに近く多数の観光客が訪れる南東部の灯台は、大半が観光客に開放されていて、塔頂から眺望を楽しむことができます。先細で円柱状のポイントプリム灯台以外は角柱タイプ。鉄筋コンクリートの灯台が建てられるようになったのは20世紀初頭以降で、(建て替えられたものもありますが)古い灯台は木造やレンガを積み重ねる工法で築かれました。

 ウッドアイランドには前列(Range Front)と後列(Range Rear)で2灯一組の灯台があります。沖を通る船が、2つの灯火が重なるのを見て方角を確認できる仕組みでした。モンゴメリの生家に近く、日本人観光客もよく訪れるニュータウン後列灯台も、元はセットの灯台でした。

 ところで、プリンスエドワード島の名産はロブスターやカキなどの海産物ばかりではありません。人口では全加の0.4%、土地では0.06%に過ぎないプリンスエドワード島が、カナダの25%のポテトを生産しているというのですから驚きです。その関係で、島の北東部には蒸留酒の酒造会社が2社あり、ジンやウォッカなど透明なリカー類を主に生産しています。また、ワイナリーは南東部のロシニョールが有名です。