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2014年10月15日(第100号)


「バーボン・ウィスキー」の名前の由来のミステリー

 アメリカは政治経済も地理歴史も意外に複雑

 第100号の記事を書くに当たって、4年前の第50号では意欲的にアメリカの音楽史を特集したのを思い出しました。「アメリカ生活・e-ニュース」の編集も、北米全土の地理や歴史に明るくないとなかなか大変…8年前の創刊以来、誤報を出さないように冷や汗を流し、精一杯頑張ってきた次第です。

 歴史は短くても、アメリカには世界中から移民が押し寄せ広大な大陸の各地に思い思いに散らばって行きましたから、政治経済の背景にも意外に複雑なところがあります。

 今回は、そんな私の20年を、渡米直後から疑問に思っていたバーボン・ウイスキーの名前の由来のミステリーに絞って、自分史的にご紹介したいと思っています。


ケンタッキーの元祖「ご当地ブランド」


 1995年の早春、当時の私は東京で銀行員をしていましたが、ケンタッキーのレキシントン駐在員事務所への赴任が決まりビザ申請中の時期に、たまたま来日していた州政府の一行が挨拶に立ち寄ってくれました。その際に好きなバーボンのブランド名をたずねられ、唯一知っていたアメリカのウイスキーの名前を言ったら、それが何と商売敵のテネシー・ウイスキー。私のバーボンとのお付合いは、非常に気まずい思いで始まりました。

 バーボン・ウイスキーは元祖「ご当地ブランド」で、バーボンと認定される要件は1964年制定の連邦法で厳格に定義されています。例えば、原料はトウモロコシ51%以上の穀物で、新しく炭化したオーク材の樽で熟成しなければなりません。要件さえ満たせば全米どこで作られてもバーボンですが、実のところバーボンの95%はケンタッキー産です。


フランス王朝の「ブルボン」と同じスペル


 さて、レキシントン北東のバーボン郡には、パリス(Paris)という町があります。赴任して間もなくバーボンの有名ブランドを飲み比べているうちに、ウイスキーのバーボンもバーボン郡も、スペルはフランス王朝のブルボン(Bourbon)と同じだと気づきました。バーボン・ウイスキーの名は、バーボン郡やブルボン王朝にゆかりがあるのでしょうか?

 それだけではありません。レキシントン周辺には、フランス語読みでベルサイユ(Versailles)という町をはじめ、フランスにゆかりの深い地名がたくさん残っています。あれこれ???でしたが、当時の私は、それ以上深く追及してみませんでした。


独立戦争の同盟国フランスに感謝!!


 その後、1997年暮れの金融危機で、銀行のレキシントン駐在員事務所は閉鎖することになりましたが、私はアメリカに残り、日系企業駐在員の皆さんの役に立つ仕事を個人で続けることにしました。2002年に北米情報サイト「アメリカ生活・e-百科」の前身「ケンタッキー・e-ガイド」を開設、2006年には月刊メルマガ「アメリカ生活・e-ニュース」を創刊し、全米各地の観光地や名産品を皆さんにご案内する立場になりました。

 バーボン・ウイスキーについて初めて詳しくご紹介したのは、2007年のe-ニュース第16号の記事です。名前の由来については諸説がありますが、私が信用できると思ったのは次の説です。

1. イングランド移民に一足遅れ、18世紀後半にやって来たスコットランド系アイルランド人らの移民は、当時"奥地"と呼ばれたアパラチア山脈の山麓地帯に入植、一部は山を越えて "西部"のインディアン狩猟地ケンタッキーに進出した。

2. 独立戦争(1775〜83年)の"西部"戦線は、事実上ケンタッキーの開拓者対イギリスと同盟したインディアンの戦争で、イギリスの敗戦により、開拓地はインディアンの脅威から解放された。バーボン郡などフランスゆかりの地名は、独立戦争でアメリカ側に味方したフランスのブルボン王家にあやかり命名された。

3. ケンタッキーの開拓者は、新大陸の作物トウモロコシの栽培に成功した。余ったトウモロコシは東部に運んで換金したかったが、当時の交通手段では運送中に傷んでしまって売り物にならない。そこで、故郷スコットランドのウイスキー製造技術を使いトウモロコシからウイスキーを作った。

4. 最初のウイスキーは、1789年に(現在はトヨタ工場がある)ジョージタウンでエライジャ・クレイグ牧師が作った。ウイスキーは、当時バージニア州バーボン郡だったメイズビルで船積みされ、バーボンと刻印された樽に詰められてオハイオ川を下りミシシッピー川河口のニューオリンズから東部に向けて出荷された。

1784年のケンタッキー地図(バーボン郡は、1785年にフェイエット郡から分離)

ケンタッキー州は、1792年にバージニア州から分離して成立

 エライジャ・クレイグ牧師はアメリカ生まれで、曾曾祖父がスコットランド移民ですから、そこから数えると移民5世です。ウイスキーの蒸留所のほか、ジョージタウンに衣服の縫製や製紙、製綱、製材、製粉の工場を作りました。


スコットランド系アイルランド人


 ところで、初期の西部開拓のリーダー的役割を果たしたスコットランド系アイルランド人とは、どのような人々でしょう?私が疑問を抱いて、近世イギリス史を調べたのは2010年3月のことでした。「アメリカの社会と歴史・e-百科」の人種と移民問題のページでアイルランドとイギリスの歴史の記事をお読みください。

 今年9月には独立騒ぎが起きましたが、スコットランドには17~18世紀にかけて武力や経済封鎖に屈してイングランドに征服されてしまった苦い歴史があります。

 18世紀初頭の経済封鎖の際には、生活に困窮したスコットランド人が、同じくイングランド支配下のアイルランド北東部に数多く移住していました。しかし、そこでも厳しい飢饉に襲われ、一部が次の新天地アメリカを目指し、大西洋を渡って移民して行きます。これが、スコットランド系アイルランド移民と呼ばれる人々です。

 スコットランド人もアイルランド人も同じケルト系民族ですが、アイルランドは元々カトリックの国で、北アイルランドに住みついたスコットランド人はプロテスタントです。アイルランドは第一次大戦後にイギリスから独立します。しかし、イギリスに残った北アイルランドでは、少数派のカトリック住民が差別され、1990年代まで過激派のテロが続きました。


ビーバーの毛皮とイロコイ連邦


 その後、昨年11月に全米のインディアン戦争史を書き始め、それで初めて分かったこともあります。ケンタッキーが最初の"西部開拓地"となったことにも、納得のいく理由がありました。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」のようですが、そもそもは17世紀にヨーロッパでビーバーの毛皮の帽子が流行していたからです。

 当時、オンタリオ湖(五大湖東端)の南岸にいたイロコイ連邦というインディアンの部族連合が白人から銃を手に入れ、ビーバー狩りのため中西部からケンタッキー一帯を征服して領土を拡げました(e-ニュース第90号 ビーバー戦争)。

 その後イロコイ連邦の力も徐々に衰え、オハイオ川から北の中西部には遠くに逃げていた諸部族が三々五々と戻ってきます。しかし、ケンタッキーは18世紀半ばになってもまだ"無人の土地"で、狩猟地として南北の周辺部族に共有されていました。


バージニア植民地ケンタッキー郡


 その頃、アパラチア山脈の"西部"は、イギリス国王の宣言によりインディアンの土地として保証されていました。ところが、開拓者の一団がケンタッキーの"無人の土地"を南部のチェロキー族から購入、南部ルートで移住して新しい植民地を築こうとします。

 しかし、チェロキーを除くインディアン諸部族が土地の購入を認めるわけがありません。白人社会も、私的な開拓地の土地購入に否定的でした。開拓地は、ショーニー族ら主に北部の部族から繰返し襲撃を受けます。

 やがて独立戦争(1775~83年)が始まり、開拓地は植民地軍の後ろ盾を得るためバージニア植民地に編入を願い出ました。この時に誕生したのが、バージニア植民地ケンタッキー郡です(e-ニュース第91号 独立戦争の西部戦線)。


合衆国15番目の州


 西部戦線ではむしろインディアンが優勢でしたが、植民地軍の勝利でアメリカは独立し、ケンタッキーの開拓地はめでたくインディアンの脅威から解放されます。一時は東部に避難し200人に減っていた開拓地の人口も、1790年に7万人、1800年には22万人と急増し、この時代にバーボン・ウイスキーの生産が始まりました。

 バージニア植民地はバージニア州となり、ケンタッキー郡は1780年にフェイエット・ジェファーソン・リンカーンの3郡に分かれ、1785年にはフェイエット郡が分かれて、バーボン・ウイスキーゆかりのバーボン郡が誕生しました。

 バージニア州からは、その後1792年にケンタッキー州が分離独立。南北戦争時に北軍についたウェストバージニア州も分離したので、いわゆる"独立13植民地"の中には現在の15州が含まれていたことになります。

 もう一つ余談を言えば、バーモント植民地はニューヨーク植民地と境界争いを抱え"独立13植民地"には加わりませんでしたが、独立戦争では大活躍し合衆国14番目の州となっています。したがって、ケンタッキーは合衆国15番目の州。


 昔、銀行時代に北米の融資案件を持ち込まれ、政治経済どころか地理も歴史も知らずに判断の基準がなくて困ったことがあります。あるいは、アメリカに新工場を作るに当たって、私と同じように悩んでおられる方も見てきました。

 そんなわけで、ビジネスや生活に直接つながりのない話題でも、私が理解して日本語で説明したら、北米全般について教養を深め、いつか役に立ててくれる方もおられるものと思って書いています。

 細部を省くと皆さんが日本の延長で類推して誤解なさるといけませんから、たくさんのことを要約して、できるだけ読みやすく書くのが難しいところです。