★奴隷の特別な日のご馳走 ★太閤は秀吉、カーネルはサンダース 奴隷の特別な日のご馳走
太閤は秀吉、カーネルはサンダース 「空気が読めないこと」を「KY」というのはケンタッキー州に対する名誉毀損ですが、全米50州の中でも「ケンタッキー」は日本人に最も親しまれている州名のひとつに違いありません。それというのも、ひとえにケンタッキー・フライドチキンの創業者カーネル・サンダースの功績です。 カーネル・サンダースは、1890年にルイビルから約20マイル北のインディアナ州ヘンリービルで生まれました。いくつか職を転々とした末、1930年=大恐慌の真っ最中に、ノース・コービン(ケンタッキー州ロンドン付近)にガソリン・スタンドを開店、一角にレストランを設けました。これが繁盛して、時の州知事から「ケンタッキー・カーネル」の称号を贈られます。 …そうです。「カーネル(Colonel)」はサンダース氏の名前ではありません。普通は「カーネル」といえば軍隊の大佐ですが、ケンタッキー・カーネルはケンタッキー州に貢献した人々なら民間人にも与えられます。モハメッド・アリのようにケンタッキー生まれの有名人にはもちろんですが、大統領など州外の人物や外国の君主などにも儀礼的に差し上げるようで(最近は乱発気味なのか)かくいう私までがいただいておりますから世界中で何人いるのか想像もできません。昔から、大師は「弘法大師」、太閤は「秀吉」ということわざがありますが、昔、阪神の優勝で熱狂したファンがケンタッキー・フライドチキンの看板人形を道頓堀に投げ込んだ事件以来、大半の日本人には「カーネル」はサンダース氏のファースト・ネームと思い込まれるようになってしまいました。とはいえ、アメリカでも「ザ・カーネル(The Colonel)」といえばサンダース氏と決まっているそうですから、あながち間違いではありません
North CorbinのHarland Sander's Mueum & Cafe(KFC発祥の地) ⇒地図にジャンプ
当初はフライパンで30分もかけて調理していたそうですが、サンダース氏は圧力鍋で短時間で揚げる方式を工夫し、1940年には今日に至るフライドチキン秘蔵のオリジナル・レシピを完成させました。 ところが栄枯盛衰は世の習い、サンダース氏のガソリン・スタンドがあるUS25に並行してインターステート・ハイウエー(I-75)が開通すると、客足がぱったり途絶えてしまったのだそうです。しかし、ピンチをチャンスに変えるのが起業家の真骨頂…1959年、ガソリン・スタンドをあっさり売り払った69歳のサンダース氏は、生まれ故郷に近いシェルビービル(ルイビルの約20マイル東)へと戻ってきます。そこから、フライドチキンのレストランをチェーン展開する夢を抱いて全米セールスの旅に出たのでした。最初のフランチャイズ店は1952年にユタ州のサウス・ソルトレークに開店、1960年代には北米に600店を展開する立派なビジネスに育っていったのです。今でも、シェルビービルにはサンダース氏の未亡人が経営していたクローディア・サンダース・ディナーハウスがあってケンタッキーの素敵な田舎料理を出してくれます。
その後、サンダース氏自身は1964年に引退しましたが、ケンタッキー・フライド・チキンは旧ペプシコのファーストフード部門で独立したヤム(=おいしい)! ブランズ(Yum! Brands)の傘下で今日まで続いています。本社も、サンダース氏の故郷に近いルイビルです。 1991年に社名を「ケーエフシー」と変えて、一時は「キッチン(K)・フレッシュ(F)・チキン(C)」と名乗り油たっぷり⇒肥満のイメージを払拭しようとしていたようですが、やはりカーネル・サンダースがにっこり笑った看板には「ケンタッキー・フライド・チキン」の名前が似つかわしいのでしょう、いつの間にか元の名前に戻っています。 |