メモリアルデー(戦没者追悼の日) ★南北戦争 ★旧南部連合諸州の祝日
南北戦争は、1861年4月に南軍がサウスカロライナ州チャールストンのサムター要塞(合衆国陸軍=北軍)を攻撃して始まりました。 もともと人口や経済規模を見れば南部連合11州の不利は否めないところで、南軍は、東部戦線でリー将軍の北バージニア軍が善戦し互角に対峙していたものの、西部戦線ではグラント将軍に攻め込まれ、北軍の占領地が拡大していきました。 1863年には南軍が起死回生をかけて北部に攻め込みましたが、ゲティスバーグの激戦で大きな痛手をこうむり、西部戦線でもミシシッピ川の制水権を失い、以後、南軍は防戦一方に回ります。 1864年は、南部連合の帝都と呼ばれたアトランタ市が降伏。シャーマン将軍は大西洋岸に進軍して南部を分断し、さらに反転して北上します。北バージニア軍もシーダークリークの敗戦で崩壊し、大統領選挙はリンカーンの完勝で再選が決まりました。
さて、リー将軍の降伏から2週間後、ノースカロライナ州ダーラム付近でシャーマン将軍と対峙していた南軍のもう一つの主力部隊が降伏。南軍は事実上解体しましたが、その後も6月まで各地でこぜりあいが続いたそうです。
戦後の連邦議会では、リンカーンの後を継いだ南部出身のアンドルー・ジョンソン大統領が共和党急進派を押さえられず、形を変えて南北対立が再燃します。結果的にKKKなど白人至上主義団体が登場し、奴隷から小作人に変わった黒人が一層ひどい人種差別を受ける時代がやってきました。 一時は百万人いた北軍(連邦陸軍)の兵力も、1866年末には2万5千人に縮小。「八重の桜」で有名な会津藩の山本八重さん愛用のスペンサー銃など、南北戦争で使われた大量の銃器が日本にもたらされ、戊辰戦争(1868〜69年)で使われました。
旧南部連合諸州の祝日
左の表は、建国以来アメリカが関わった有名な戦争をメモしたものですが、南北戦争の南北両軍の戦死者・戦病死者の合計は62万5千人。他の戦争を全て合わせた犠牲者数に比肩します。 メモリアルデーは、1868年に北部の復員軍人協会のローガン将軍が、南部で既に始まっていたメモリアルデーの催しをまねて、5月30日を「デコレーションデー」と定め墓地に献花することを提唱したのが始まりです。 それでは、南部の元祖はどこかというと、ジョージア州のコロンバスで1866年という国立公園局の記事があるのに対し、事実の混同があるとミシシッピー州コロンバスが名乗り出るなど全部で20以上の都市が手をあげています。 それでも、南部連合として戦った諸州には、南部連合への想いを忘れられず、全米のメモリアルデーとは別に祝日を設けている州がたくさんあります。 テキサス州では、リー将軍の誕生日1月19日が「南軍英雄の日」。バージニア州では、リー将軍の右腕ストーンウォール・ジャクソン将軍の誕生日が1月21日なので、二つまとめて祝います。「キング牧師の日」が1月の第3月曜日なので、その前の週の金曜日を「リー-ジャクソンの日」として4連休。アーカンソー州などは、1月の第3月曜日に「キング牧師の日」に重ねて「リー将軍の日」を祝い、ミシシッピー州は「キング牧師とリー将軍の誕生日」として祝います。 アラバマ、ジョージア、ミシシッピーの3州は、テネシー軍が降伏した4月26日または前後の月曜日に「南部連合メモリアルデー」。サウスカロライナ州は、1863年にストーンウォール・ジャクソン将軍が戦死して1865年には南部連合大統領ジェファーソン・デービスが逮捕された5月10日に同じく「南部連合メモリアルデー」。 アラバマ州では、6月10日のジェファーソン・デービスの誕生日を記念して第1月曜日が「ジェファーソン・デービスの日」。ミシシッピー州では、メモリアルデーに併せて「ジェファーソン・デービスの日」を祝います。 |