ロケットシティ・ハンツビル

Rocket City, Huntsville


Twickenham Historic District

 後の第7代ジャクソン大統領がクリーク族の内戦(1813〜14年)に乗じて反抗的な勢力を制圧するまで、アラバマの大半のはインディアンの支配下にありましたが、テネシー川流域は例外的に早くから入植することができたようです。この地域がミシシッピー準州に加えられたのは1804年ですが、ハンツビルには1805年に入植が始まり1811年になって正式に町ができました。

 1819年にハンツビルで州憲法制定会議が開かれ初代の州都に選ばれたのも、当時は最北端のノースアラバマが一足早く開発されていたからでしょう。憲法制定会議が開かれた場所はアーリーワークス博物館、古い町並みはトゥイッケンハムやオールドタウン歴史地区として大切に保存されています。

フォン・ブラウン博士が開発したロケット

ドイツ時代のV2

ナチのロンドン空襲

Redstone

レッドストーン弾道ミサイル

初期の衛星打ち上げに転用

アポロ計画のサターン

有人飛行船の打ち上げ

 ノースアラバマは、セントラルアラバマのブラックベルトと同様に綿花栽培で栄えました。1855年にはテネシー川沿いにメンフィス-チャールストン鉄道(メンフィス-ハンツビル-チャタヌガ-ノックスビル-アッシュビル-コロンビア-チャールストン)が建設され、大西洋岸とミシシッピー川を結ぶ交通の要衝としても発展しました。

 といっても、1940年時点で人口1万3千人の田舎町に過ぎなかったハンツビルの運命が変わったのは、1941年に陸軍の化学工場ができたのが第1ステップでした。第二次大戦後に軍需工場は不要となりましたが、災い転じて福…1950年にドイツ人の亡命学者フォン・ブラウン博士が率いるチームが来て跡地が弾道ミサイル開発拠点に変身したのが第2ステップで、さらに三段跳びで、月面着陸を目指すアポロ計画を支えるNASAのロケットの開発拠点ともなったのです。

 ミサイルやロケットを生産したレッドストーン兵器工場(Redstone Arsenal)の北には、1970年に米国宇宙・ロケットセンターが建てられました。

 ダウンタウンの東にあるモンテ・サノ山は、麓のテネシー川から300mほどの高さで山頂が平らな州立公園…日本庭園もあり、眺めのよい多目的な憩いの場として市民に愛されています。