「風と共に去りぬ」と南北戦争のジョージア戦線

★アトランタ作戦 ★シャーマンの海への行進(進撃)


アトランタ作戦(186459月) (⇒クリックで拡大)

 南北戦争については、いずれ詳しく書くつもりですが、このページでは聖書に次ぐベストセラーとして知られる小説「風と共に去りぬ」に関係する北軍のジョージア侵攻の部分についてご説明しておきましょう。作者マーガレット・ミッチェルのお祖母さんはアトランタの南ジョーンズボロ(⇒小説の舞台タラのモデルの地)に住んでいて南北戦争を体験したのだそうです。

=====≪アトランタ作戦≫=====

 シャーマン将軍の北軍は、1864年にチャタヌガ方面からジョージアに侵攻してきましたが、鉄道のハブがあったジョーンズボロはアトランタ作戦の最後の戦いのあった場所です。北軍はアトランタへの正面攻撃を避け、南軍の補給線を断つために南に回り込んだのです。南軍は敗れ、やむなくアトランタを捨てて退却しますが、軍需物資を焼いて処分する火が大火を引き起こしてしまいます(カラー映画の地位を確立した映画「風と共に去りぬ(1939年)」の大迫力シーンです)。

アトランタ近郊のシャーマン将軍

 ミッチェルのお祖母さんは北軍の司令部に赴いてお屋敷を救ってもらったのだそうで、アトランタに移り住んだミッチェルの家族もジョーンズボロには度々遊びに行く機会がありました。

=====≪シャーマンの海への行進(進撃)≫=====

鉄道を破壊するシャーマン将軍の北軍部隊

 南北戦争の最前線はバージニア州やテネシー州、ミシシッピー州でしたが、ジョージア州は後方で軍需物資や食料の増産と補給を担う南部連合の心臓部でした。11月にリンカーン大統領の再選が決まり世論の動向を気にしなくてもよくなった北軍司令部は、戦争を早く終わらせるために、ジョージアの焦土作戦を展開することになります。

海へのマーチ(18641112月) (⇒クリックで拡大)

 11月15日にアトランタを発って12月21日にサバンナを陥れるまでの「シャーマンの海への行進(Sherman's March to the Sea)」は、戦闘より破壊と略奪に主眼があったようです。食料は農家から徴発し奴隷を解放し各地で鉄道のレールを熱でねじまげて木の幹に巻きつけて立ち去りました。

 「風と共に去りぬ」の題名で、ミッチェルが「風」と言ったのは北軍の容赦ない軍事作戦のことで、去って行ったのは「戦前(Antebellum)の時代」の「オールドサウス(Old South)」です。

シャーマン戦車

 シャーマンの軍隊は、その後も南北カロライナを破壊しながら北上します。南北から挟み撃ちにあった南軍のリー将軍は翌年の4月に降伏し、南北戦争は終息に向かいます。

 当時の欧米に敵の市民を戦火にさらす前例はなかったようで、シャーマン将軍の作戦はその後の近代戦争に大きな影響を与えたのだそうです。第二次大戦時のエース級戦車にはシャーマンと命名されましたが、南部出身の兵士には名前のために搭乗を拒否するものが現れたということです。