プレーリーとグレートプレーンズ


 イリノイ州には、「大草原(プレーリー)の州(The Prairie State)」という愛称があります。

 「プレーリー」は北米のど真ん中に広がる大草原ですが、草丈が低い西の乾燥帯は「グレートプレーンズ」と分けて呼ばれることが多いので、草丈が高い狭義の「プレーリー」はどこかと問われれば、答えはイリノイ、アイオワ、ミネソタ、ミズーリの大半と周辺州の一部です。

 シカゴ近郊でも、ジョリエット南方のマインドウィン国立草原公園で、典型的なトールグラスのプレーリーを見ることができます。比較のため、左の地図には典型的なショートグラス・プレーリーの写真も掲載しました。

 1975年から7年にわたり日本でも放送されたテレビドラマ「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」の舞台はミネソタ州ですが、こちらもイリノイと同じく草丈が高い草原地帯でした。


「コーンベルト」と「アメリカのパンかご」


 プレーリー一帯と東に続くオハイオ・インディアナの両州は「コーンベルト」。氷河が残した肥沃な土壌に恵まれ、トウモロコシと大豆の生産が盛んです。グレートプレーンズは「アメリカのパンかご」。北でカナディアンプレーリーに連なり、南部の乾燥地帯では、日本の国土の1.2倍もある地下水脈から地下水を汲み上げて小麦を栽培しています。


運河・鉄道・ハイウェー


 「大草原」は、アメリカの農業と牧畜の要です。1848年にイリノイ・ミシガン運河が開通し、イリノイ川やミシシッピー川流域の農産物を、シカゴから五大湖経由でニューヨーク方面に運び出せるようになりました。

 鉄道網もシカゴをハブとして、構築されていきます。リンカーン大統領が大陸横断鉄道建設の法案に署名した1959年…この時、線路の先端は既に現ネブラスカ州のオマハまで伸びていました。南北戦争後に、カウボーイがテキサスの牛の群れを追ってカンザスやネブラスカの駅に送り届ける西部劇の時代がやってきます。

 初の大陸横断自動車道リンカーンハイウェー(ニューヨークのタイムズスクエア〜サンフランシスコのリンカーンパーク)もシカゴを通りました。T型フォードが1903年に登場して10年目のことです。1926年には、シカゴからロサンゼルスに向けて、後に「アメリカのメインストリート」と呼ばれるようになる国道66号線(ナット・キングコールの歌やテレビドラマで有名なルート66)が開通しました。