ノーザンミシガン−上半島・e-ガイド (印刷ページ)

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スーセントマリー運河

★スーロックス ★エジソン・スー発電所 ★五大湖海難事故博物館 ★アガワ・キャニオン観光列車


Sault Ste. Marie International Bridge

左(北がカナダ・右(南)がアメリカのスーセントマリー

 スーセントマリー市は、アメリカとカナダの二つに分かれた双子都市。国境で両市の真ん中を流れるセントマリー川は、スペリオル湖とミシガン-ヒューロン湖を結んでいます。

 両湖の高低差は7メートル。スーセントマリー付近の川幅は約700m。スーセントマリーの急流は、ナイアガラに次ぐ五大湖水運の障害でした。スーセントマリーの「スー(Sault)」は、急流を表す中世フランス語です。

初代の水門(⇒拡大)

=== ≪スーロックス≫ ===

 スーセントマリーに初代の運河が設けられたのは1855年。おかげで、早くも1860年には、ミシガン上半島で採れた銅が全米需要の9割を供給するまでになりました。19世紀末にはミネソタの鉄鉱石が五大湖沿岸の製鉄所に盛んに運ばれるようになり、運河の能力も時代とともに増強されてきました。

 今でも、年間1万隻の船がセントマリー川を行き交っています。主に活躍しているのはアメリカ側で、スーロックス(Soo Locks)4門の水門のうち特に2門。水門の中を見物する遊覧船のツアーもあります。マッカーサー水門は大西洋に出て諸外国との貿易もできる外洋船舶、ポー水門は大きすぎてナイアガラのウェランド運河は通れない五大湖専用船が主担当です。

 冬は五大湖の湖面が凍りつき、砕氷船(⇒マキノー砕氷船海事博物館)が航路の確保に務めますが、それでも1〜3月はスーロックスも閉鎖せざるを得ません。例年、お休みの間に運河の補修が行われます。

=== ≪エジソン・スー発電所≫ ===

 スーロックスの南は、中州でダウンタウン。下流側で先端の一角に毛皮商人や宣教師が住んでいた歴史的な建物が残されています。その隣に、引退した貨物船を博物館として展示している公園。ここから、スーロックスの反対側を眺めてください。運河をまたぐロマネスク調の3階建てビルディングはエジソン・スー発電所(現クローバーランド水力発電所)…地元の建築家が設計して1902年に完成しました。企業を誘致して一帯を工場地帯に変えようとした目論見は外れましたが、今も、電力は民生用に活かされ、建物は「人と自然の調和の真髄」として観光名所として役立っています。

Whitefish Point Light

Whitefish Point Light

=== ≪五大湖海難事故博物館≫ ===

 スーロックスの脇に五大湖海難事故博物館の小さな建物がありますが、これは旧アメリカ気象局で博物館の分館本館は、スペリオル湖方面にホワイトフィッシュ湾岸をぐるっと回って100q先ですから、時間のゆとりがないと往復できません。

SS Edmund Fitzgerald May 1975

Edmund Fitzgerald, May 1975

 五大湖の海難事故のうちで最も有名になったのは、美しいメロディーの歌(エドモンド・フィッツジェラルド号の難破)に残る1975年の遭難です。エドモンド・フィッツジェラルド号は、風雪の中、ホワイトフィッシュ灯台沖で沈没し、29人の乗組員の命が奪われました。

 五大湖の気象は厳しい内陸性で、海難事故の多さは海に負けません。中でもスペリオル湖南岸は「五大湖の墓場」と呼ばれる危険な水域…ホワイトフィッシュ灯台の周辺だけで少なくとも23隻の難破船が湖底に眠っています。ミシガン州政府は五大湖の12の水域を水中保護区に指定して環境を保護し船の引揚げを禁じていますが、このあたりにはまだ悪名高い外来種のゼブラ貝も侵入しておらず、スキューバダイバーに人気があります。

Algoma Central stopped in Agawa Canyon

Agawa Canyon Tour Train

Agawa Canyon Wilderness Park

=== ≪アガワ・キャニオン観光列車≫ ===

 スーセントマリーのカナダ側には、トロントから、エアカナダの定期便が日に何本も運航しています。珍しいところでは、カナダやアラスカの原野で湖上や雪上を使って離着陸する飛行機の博物館

 お勧めは、アガワ・キャニオンの観光列車。ダウンタウンの駅から北に180q…目的地の公園で1時間半の軽いハイキングを楽しめます。アメリカの山脈より何倍も古い12億年前の太古に形成された渓谷とカナダらしい樹林を見る旅です。