ミシガン州・e-ガイド (印刷ページ)

⇒元のページに戻る

栃の木と美しい川

★栃の実とチョコレート ★美しい川(オハイオ)と運河 ★クリーブランドとカヤホガ川

★コロンバスとサイオト川 ★シンシナティとマイアミ川 ★トレドとモーミー川 ★オハイオ川とアパラチア山麓


栃の実(バックアイ)とチョコレート


セイヨウトチノキ (Buckeye)

セイヨウトチノキの実

栃の実型チョコレート

本物の牡鹿の眼(バックアイ)

 オハイオ州には、「セイヨウトチノキ(西洋栃の木)の州」という愛称があります。

 日本では、街路樹の「マロニエ(フランス語)」として親しまれている木ですが、アメリカでは、秋になる実が「シカのドングリ眼」に似ているので、バック(牡鹿)アイと呼ばれています。 

 日本の東北地方の遺跡には縄文人がをアク抜きして主食にしていた証拠があるそうですが、栃の実は苦くて、普通には食べられません。

 そこで、オハイオ州の現代人は、形だけ真似した美味しいお菓子が作り出しました。バックアイ・チョコレート…ミルク・チョコレートの中にピーナッツバターのキャンディーを一さじ垂らし、ピーナッツバターの痕跡が外からしっかり見えるように残して自然に丸く仕上げるのがこつ。直径は3〜4cm、いかにも「栃の実」や「牡鹿の眼」にそっくりでしょう?


美しい川(オハイオ)と運河


 五大湖周辺州の(往時の)内陸水運

主要運河名

全線開通

ルート(河川部分も含む)

エリー運河

1817

アルバニー(ハドソン川)〜バッファロー(エリー湖)

オハイオ&エリー

運河

1827

ポーツマス(オハイオ川)〜コロンバス付近〜クリーブランド(エリー湖)

ビーバー&エリー

運河

1844

ピッツバーグ付近(オハイオ川)〜ビーバー川〜エリー(エリー湖)

マイアミ&エリー

運河

1845

シンシナティ(オハイオ川)〜デイトン(マイアミ川)〜トレド(エリー湖)

イリノイ&ミシガン

運河

1848

セントルイス対岸付近(ミシシッピー川)〜イリノイ川〜シカゴ(ミシガン湖)

ワバシ&エリー

運河

1853

エバンズビル(オハイオ川)〜ワバシ川〜トレド(エリー湖)

 「オヒーヨ」=「美しい川」…オハイオの南の州境を流れるオハイオ川とその上流のアレゲニー川を、アメリカ先住民のインディアンは、「美しい川」と呼んでいたのだそうですが、18世紀の末から続々とオハイオに入植してきた白人開拓者にとり、川は美しいだけはなく、幌馬車より簡単にものを運ぶことのできる大切な運輸手段でした。

オハイオ&エリー運河(1902年)

 1817年にハドソン川とエリー湖を結ぶエリー運河が開通し、ニューヨークと五大湖が水路で結ばれました。それから19世紀の半ばにかけて運河建設の大ブームが起きます。

現在のマイアミ&エリー運河(ピクア付近)

 オハイオ州では、太古の氷河の流れに沿って2本の大運河が掘られ、オハイオ川と五大湖を結ばれました。つまり、ニューヨーク港からミシシッピー川河口のニューオリンズ港までが内陸の水路でつながったのです。

 オハイオ州が早くから発展し、アメリカの内陸部では最も人口密度が高く、広く都市化が進んだ州となったのも、2本の運河なしには考えられません。


クリーブランドとカヤホガ川…北東オハイオ


カヤホガ渓谷国立公園(Cuyahoga Valley National Park)

 オハイオ州の北東部は、古エリー湖の氷河にアパラチア山脈の山すそが削り取られてできました。

 「カヤホガ」はインディアン語で「ひん曲がった川」という意味ですが、確かにカヤホガ川はいったんアクロン付近まで南下しておきながら、U字型に反転してエリー湖に注ぐ不思議な川。氷河期には南向きだった川の流れが、エリー湖の水位が下がったために逆流してできた地形です。

カヤホガ川流路

 1960年代の末、アメリカの鉄鋼業が斜陽化してクリーブランドや五大湖周辺の工業地帯がラストベルト(錆びついた地域)と呼ばれていた頃は、このカヤホガ川も荒れ果てて悲惨な状態だったそうです。川面を覆う重油に引火してたびたび火災が起こり、タイム誌が「人が溺れずに腐る川」と書くほどで、生息する魚も皆無でした。

 これがきっかけで、全米に公害防止運動が巻き起こり、連邦と州の両政府にEPA(環境庁)が設置されることになりました。その後の努力で、今では鯉類など44種の生息が確認されるまでに回復しています。流れが穏やかな場所では、ビーバーが作ったダムを見かけることもあります。

 おかげ様で、クリーブランドも、サービス業や先端産業を軸に再生しました。カヤホガバレー国立公園では、かつてラバが運河の船を引いて歩いた曳船道をハイキングしたり、サイクリングしたり。観光道路と観光鉄道も、南北に縦貫していますから、手軽な旅を楽しむこともできます。


コロンバスとサイオト川…中部オハイオ


コロンバスのダウンタウン

サンタマリア号の複製(リバーフロント)

サイオト川流路

 オハイオの中央部から西…州の約半分の土地は氷河に侵食されてできた平坦な氷食平野です。

 州都コロンバスは、周辺各地方の妥協で州央に建設された計画都市ですから陸運の便がよいのは当然ですが、サイオト川(Scioto)とオハイオ&エリー運河を使えばどの方面にも出られる水運にも恵まれた好立地なのです。

 ダウンタウンのリバーフロントには、市名をあやかったコロンブスのアメリカ発見(1492年)500周年を記念して造船したサンタマリア号のレプリカ(複製)が係留されています。 


シンシナティとマイアミ川…南西オハイオ


リトルマイアミ川(ミルフォード付近)

 オハイオ南西部の大半が大小二つのマイアミ川(Miami)の流域です。マイアミの名前は、白人が入植する前にミシガンの南部からインディアナやオハイオ南部にかけて住んでいたインディアンの名前…フロリダのマイアミは、川の名前をインディアンが「マヤミ(大きな水)」と言っていたのがなまったのだそうで語源が違うようです。

マイアミ川流路

グレートマイアミ川(バンダリア付近)

 下流のシンシナティと上流のデイトンの両都市周辺部まで合わせると3百万人の大都市圏になります。シンシナティは、19世紀の半ばに鉄道のターミナルとしてシカゴが勃興してくるまで、中西部随一の畜産物の集積地として早くから栄えました。

 デイトンでは、1913年3月、冬の嵐に続けて三度襲われた末にグレートマイアミ川が氾濫し、ダウンタウンが6mの高さまで水没する大洪水が起きたと記録されています。


トレドとモーミー川…北西部


モーミー川(グランドラピッズ)

オークオープニング保護区メトロ公園

モーミー川流路

 モーミー川(Maumee)の名前もマイアミ川と全く同じインディアンの部族名に由来するものですが、カナダ・インディアンの発音マーミー(Maamii)が英語化してモーミーになったのだそうです。

 そのモーミー川は、氷河時代にはワバシ川とつながり南流していた川です。エリー湖の水が大西洋に注ぐようになって流れの向きが変わりました。川の南ににあるグレートブラック湿地帯という大湿地帯も氷河が作り出したものです。

 交通の難所となっていましたが、19世紀後半に下水管を敷設し水はけを改良したおかげで、現在は生産性の高い農作地帯になっています。

 意欲に燃えた初期の開拓民といえどもマラリアの風土病がある大湿地帯には少し失望したようです。それだけに、大湿地の北のトレドや周辺の地域にオークの木がまばらに生えているる草原を見つけ、喜んでオープニングズ(Oak Openings=オークの広場)と命名しました。

 トレドは、オハイオとミシガンがそれぞれ民兵を動員して州境の土地を奪い合ったトレド戦争の舞台としても有名です。結局、連邦政府が介入して、ミシガンには上ミシガン(Upper Peninsula=ミシガン湖とスペリオル湖を隔てる半島)をあげる代わりにトレドをあきらめさせて紛争は無血で終わりました。当時は、オハイオの北の州境を定めるミシガン湖南端の正確な位置が分からなかったために起きた紛争です。1835〜36年のことでした。


オハイオ川とアパラチア山麓…南東部


ホッキングヒル州立公園

コンクルズ渓谷

ホッキング川流路

ホッキング川(ローガン付近)

 日本人には信じがたいスケールですが、アパラチア山脈の山麓は、オハイオ川を軽くまたいで、オハイオ州南東部に少なくとも50マイル(80km)くらいは喰い込んでいます。このあたりの風景は、ウェストバージニアやイースタンケンタッキーと全く変わりなさそうです。

 上の人口密度の地図には書き入れましたが、オハイオに本格的な植民が始まる前に、ケンタッキーのメイズビルから現ウェストバージニアのウィーリングに至るゼーンズトレース(Zane's Trace)という陸路が建設されたのですが、今日に至るまで南東部の経済は立ち遅れています。中央を流れるホッキング川(Hocking)周辺の写真をごらんください。