ミッドタウンとイーストメンフィス、チュカリッサ遺跡

★ミッドタウン ★イーストメンフィス ★チュカリッサ遺跡


Overton Park (Zoo/Museum)

=====≪ミッドタウン≫=====

Levitt Shell

 オバートン公園は、ミッドタウンのど真ん中で、テネシー州にも数少ない貴重な原生林を残しています。遊歩道を散策なさってはいかがですか?

 1.4平方キロの敷地内にはメンフィス動物園ブルックス美術館がありますが、この公園の存在感を高めているのは意外にも小さな野外音楽堂…1954年7月30日に、エルビス・プレスリーが演奏し、初めて音楽でお金を稼いだ記念すべき場所です。音楽堂は、その後二度の取り壊しの危機に直面したのですが、その都度メンフィス市民の反対運動が起きて無事に守られてきました。

Liberty Bowl Meborial Stadium

 リバティボウル記念スタジアムは、お正月に恒例のリバティボウルが開催されるフットボール・スタジアムです。リバティボウルは、大学フットボールの公式戦で優秀な成績を上げたチームが招かれて戦うポスト・シーズンのご褒美のゲームのひとつで、スポンサーはメンフィス本社のカー用品大手オートゾーン(AutoZone)です。メンフィスにプロフットボールNFLのチームはありませんが、1997年のシーズンに、ナッシュビルにテネシー・タイタンズ(旧ヒューストン・オイラーズ)のスタジアムLPフィールドが完成するまで1年だけですが、メンフィスのこのスタジアムが仮住まいを提供したことがありました。普段は、メンフィス大学のメンフィス・タイガースのホーム・スタジアムとして使用しています。

Pink Palace Museum & Planetarium 

Piggly Wiggly

 異様な組合わせですが、ピンクパレス博物館は、スーパーマーケットの創業者が1923年に自宅用に建てた御殿でした。ピーク時には2660軒の店舗を展開していたスーパーでしたが、1929年の大恐慌で資金繰りに行き詰まった末、御殿はメンフィス市の手に渡って博物館となったのです。

Original Piggly Wiggly store

 外壁はジョージア産のピンク色の大理石で覆われ、玄関ロビーの壁画には、スペイン人探検家デ・ソトがメンフィス付近でミシシッピー川を発見した故事が描かれています。

 1916年にメンフィスのダウンタウンで「ピッグリーウィッグリー」という食料雑貨店が開店しましたが、これが世界のスーパーマーケットの1号店でした。店員がいない店内で、棚に小分けされて値札が張られた商品が並んでいて、客が買いたいものをセルフサービスでカゴに入れ、レジ・カウンターで代金を支払うシステムはこの時すでに完成していました。館内の展示物は、歴史的なものから自然科学系まで雑多ですが、ピッグリーウッィグリーの当時の店を複製したスペースがあるのも当然です。

=====≪イーストメンフィス≫=====

 イーストメンフィスには、行楽によい三つの施設があります。メンフィス植物園(Memphis Botanical Garden)では、日本庭園、蝶が集まる庭園、蓮など水生植物の庭園、サボテンの庭園などテーマ別に23の庭園を楽しんでください。リクターマン自然センター(Lichterman Nature Center)には、野生動植物の観察をしながら散策する約5kmの自然道があります。シェルビーファーム公園(Shelby Farm Park)は、ニューヨークのセントラルパークの5倍もある全米でも最大級のアーバンパークです。ハイキングやサイクリング、乗馬、釣りやボート遊びのほか、ラジコン飛行機を操縦したり、フリスビーを飛ばして競うディスクゴルフなど様々なレクリエーションにチャレンジすることができます。

=====≪チュカリッサ遺跡≫=====

デ・ソト探検隊の進路

Quizquiz デ・ソトの渡河地点…クラークスデール付近?

Pacaha ウェストメンフィスの西 Parkin State Park 

Chucalissa Indian Village

 メンフィス港の南…ミシシッピー川を見下ろす高台にチュカリッサというミシシッピー文化(1000〜1550年頃)のインディアン集落の遺跡があります。西部劇映画のせいか、インディアンというとテントで遊牧生活をしていたようなイメージを思い浮かべてしまいますが、当時は定住してトウモロコシ中心の農耕社会を築いていたのだそうです。メンフィス大学の考古学グループが管理し、研究を続けています。

"Discovery of the Mississippi" by William H. Powell

 ミシシッピー文化の遺跡はほかにも数多くありますが、この遺跡が特別なのは、付近で1541年にスペイン人デ・ソトの探検隊がミシシッピー川を発見し、そこから対岸に渡河したからでしょう。

 ちょうどインディアンの社会は、各地で首長制国家ができて発展する一方で1400年頃から戦争が増え社会が不安定になってきていたところです。デ・ソトらも単純に探検していたわけではなく、至る所でインディアンの部族抗争に巻き込まれていました。以降、ヨーロッパ人のもたらした疫病が蔓延して国家が衰弱したり、ウマや鉄砲の使用で遊牧化が進んだりして、インディアンの生活は一気に変わっていったのです。

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