孤高の星テキサス

(Lone Star State)


メキシコの領土の変遷(⇒クリックで拡大)

Come and Take It flag(複製品

 テキサスの「一つ星」…テキサス人の愛州心をかき立てるシンボルマークです。アメリカが、独立戦争で、13植民地(州)を表す星を描いた星条旗を掲げて戦ったように、テキサスはメキシコから独立する戦争で、大砲と一つ星を描いた「Come and Take It(獲れるもんなら獲ってみろ)」の旗を掲げて戦いました。

 これは実在した大砲で、メキシコ領テキサスに移民したアメリカ人が、自衛のためにメキシコ政府から下された大砲でした。メキシコ政府は、緒戦の小規模な戦いで、反乱する移民から大砲を取り返そうと試みましたが失敗し、以後、移民者の団結を象徴する旗となったのだそうです。

 スペイン政府の許可に基づくアメリカ人のテキサス入植が始まったのは、皮肉なことに、メキシコが独立して半年後の1821年12月のことでした。入植者は、カトリックへの改宗やスペイン名への改名を強いられたり、奴隷制の廃止を押し付けられたりしても、増え続けましたが、1834年に、気まぐれな独裁者=サンタ・アナ将軍の不法移民退去の命令をきっかけに、ついに反乱が起きたのです。

サンアントニオのアラモの砦(修道院)

 テキサス独立戦争のハイライトは、約200人の独立派守備隊が修道院に立てこもり、数千のメキシコ兵を、13日間、サンアントニオに釘付けにした「アラモの戦い」です。この戦いには、テネシー州の元上院議員で「♪わ〜ずか三つで熊退治♪」と歌われた西部の英雄デビー・クロケットをはじめ多くの義勇兵が全米各地とヨーロッパから参加しました。

現ヒューストン近郊で戦われた最終戦

 1836年の3月6日、守備隊は援軍なきまま全滅してしまいますが、その1ヶ月半後、ヒューストン司令官が率いる独立派の奇襲でサンタ・アナが降伏し、テキサスはめでたく独立を果たしたのです。最後の戦いで、人々は「リメンバー・ジ・アラモ」と叫んで突撃しました。そして、太平洋戦争では「リメンバー・パールハーバー」、同時多発テロでは「リメンバー・ナインイレヴン(9月11日)」と衣替えして、アメリカ人が復讐心を燃え上がらせるフレーズとして使われるようになったのです。

 テキサス共和国は、1845年に、28番目の州となってアメリカ連邦政府の傘下に入ります。領土拡張主義のポーク大統領の思惑通りに怒ったメキシコは、米墨戦争に引きずり込まれ、結果的に、元の領土の半分を失います。アメリカは、テキサスのおまけに、現在のカリフォルニア、ニューメキシコ、アリゾナ、ネバダ、ユタ、ワイオミング各州とコロラド州の一部をもれってめでたしめでたし。カリフォルニアやコロラドで金が見つかったり、テキサスで石油が出たりしなければ、今日のアメリカの繁栄はなかったかもしれません。