リンカーン生誕200周年祭が始まります
丸木小屋から歴代人気No.1の大統領に...
マウント・ラッシュモア |
サウス・ダコタ州のラッシュモア山には4人のアメリカ大統領の顔が彫られています。ワシントン、ジェファーソン、セオドア・ルーズベルトとリンカーン、ただし選んだのが第30代のクーリッジ大統領(1923–1929)ですから、それ以降の大統領はそもそも対象外です。
アメリカ人は「大統領ランキング」が大好きですが、大方の一番人気は第16代のリンカーン大統領…来月18日から1年間にわたって生誕200年祭が行われることになっています。
平均的な大統領人気ランキング
分類 |
代 |
大統領(英文名) |
任期 |
功績/事件 |
1〜3位 |
16 |
Abraham Lincoln |
1861–65 |
南北戦争、奴隷解放 |
1 |
George Washington |
1789–97 |
独立戦争司令官、初代大統領 |
32 |
Franklin Roosevelt |
1933-45 |
ニューディール政策、第二次大戦 |
4〜5位 |
3 |
Thomas Jefferson |
1801-09 |
政党政治の基礎、ルイジアナ購入 |
26 |
Theodore Roosevelt |
1901-09 |
独禁法、パナマ運河、日露調停 |
トップ10
圏内 |
28 |
Woodrow Wilson |
1913-21 |
第一次大戦、国際連盟 |
33 |
Harry S. Truman |
1945-53 |
第二次大戦戦後処理、朝鮮戦争 |
34 |
Dwight D, Eisenhower |
1953-61 |
冷戦、インターステート・ハイウェー |
35 |
John F. Kennedy |
1961-63 |
公民権運動、キューバ危機 |
7 |
Andrew Jackson |
1829-37 |
参政権の拡大 |
11 |
James K. Polk |
1845–49 |
米墨戦争 |
2 |
John Adams |
1797–01 |
外国人治安立法 |
4 |
James Madison |
1809–17 |
第二次独立戦争 |
36 |
Lyndon B. Johnson |
1963–69 |
貧困との戦い、ベトナム戦争 |
40 |
Ronald Reagan |
1981–89 |
冷戦終結、小さな政府 |
最下位
クラス
|
29 |
Warren G. Harding |
1921–23 |
政権幹部の汚職、狂騒の20年代 |
14 |
Franklin Pierce |
1853–57 |
南北対立激化(カンサス-ネブラスカ法) |
15 |
James Buchanan |
1857–61 |
南北対立激化(ドレッド・スコット事件) |
評価
困難 |
37 |
Richard Nixon |
1969–74 |
ニクソン・ショック、中国国交回復
X
ウォーターゲート事件 |
42 |
Bill Clinton |
1993–01 |
強いドル、財政健全化
X
浮気スキャンダル |
リンカーン記念館 |
ケンタッキー州のリンカーン生誕の村ホッジェンビルには「サプライズ」がいっぱいです。(サプライズ@)
I-65のExit91から(たった10マイルですが)片側2車線の「リンカーン・パークウェー」
館内の丸木小屋 |
が、人口3千人の田舎町に向かってきりっと伸びています。さしづめ神社の参道…リンカーンは神様なのですね。(サプライズA)目的地に着いても、リンカーンが生まれた有名な丸木小屋は簡単には見つかりません。「小屋」はギリシャ神殿風の建物の中に鎮座ましましています。神殿の柱は第16代大統領を表す16本、階段は亡くなった年齢を表す56段です。(サプライズB)駐車場にはテキサスやカリフォルニアナど遠隔地ナンバーの車がいっぱい。「参拝者」には生きている間に一度と思いつめて来たようなご老齢のカップルが多く、丸木小屋を目にして涙を流している人が例外ではありません。外国人は私たちだけ…おばあさんが「どこから来たの?」と聞いてきました。「すぐそこに住んでいる」と言えばおばあさんががっかりしそうですから「フロム・ジャパン」とウソをついてしまいました。
リンカーン人気の秘密を3つあげると、第一は分裂しかかったアメリカをひとつにまとめたことでしょう。その証拠に、リンカーンの前2代はふたりとも南北戦争の原因を作った大統領として人気ランキングの最下位争いをしています。リンカーンは、北部のリーダーとして戦争に勝っただけではなく、戦後処理で南部にも寛容な政策を取ろうとしていたのです。
フォード劇場の惨劇 |
第2は、(ケンタッキーなまりだったそうですが)演説の名調子。有名なゲッティスバーグ演説のフレーズ「人民の、人民による、人民のための政治(…government
of the people, by the people, for the
people…)」は、後にマッカーサーにより日本国憲法の前文に織り込まれたそうです(国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する)。
第3は、凶弾に倒れた悲劇的な最期。アメリカ人は、リンカーンと同様に名演説「国があなたに何をしてくれるかではなく
あなたが国に何ができるかを考えようではないか(ask
not what your country can do for you ... ask what you can do for your
country)」を残し1963年に暗殺されたケネディー大統領のイメージを重ねてしまいます。奇しくも、ケネディーの大統領就任はリンカーンの就任からちょうど100年後、副大統領の名前はジョンソンという強い因縁で結ばれていたのです。
デリンジャー短銃 |
ケネディー暗殺は私の中学時代の事件。学校の隣にあった日米文化センターの図書室で「リンカーンが撃たれた日」という本を探して読んだ記憶があります。南軍のリー将軍が降伏して間もない1865年4月14日の夜、リンカーンはワシントンDCのフォード劇場で夫人と観劇中のところを、手のひらに入るほど小さなデリンジャーというピストルで撃たれ意識を回復しないまま間もなく死亡しました。
犯人はジョン・ウィルクス・ブース、アメリカではケネディーを殺害した(?)オズワルドやシーザーを殺したブルータスと並んで有名な暗殺者です。(日本では)桜田門外の変で井伊大老が水戸浪士に暗殺されてから、5年後の出来事でした。
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