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2019年5月15日 (第146号)

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医 療

健 康

 各地で中絶法改正…アラバマではレイプや近親相姦も含む全面禁止

 妊娠6週目から中絶禁止のハートビート法が続々誕生

 今年に入りアメリカでは多くの州で、いわゆるハートビート法…胎児の鼓動が始まる妊娠6週目以降の中絶を禁止する法律が成立しています。一般的に6週目以前に妊娠に気づくのは難しいので、限りなく妊娠中絶の完全禁止に近い州法です。また、5月にはアラバマ州で、レイプ被害や近親相姦のケースも含め妊娠中絶をほぼ全面的に禁止する法律が成立しました。唯一の例外は、母体の生命を救うためにやむを得ないケースです。

@アラバマに残る数少ない中絶クリニックの一つに入館する女性を入口で反中絶派の男性が咎めています。

A医師によれば、多くのクリニックが爆破され友人の医師も殺害されました。患者は9歳から最高齢53歳で、レイプや近親相姦、DVによる妊娠、子供を9人抱えて経済的に余裕のない女性、精神疾患やガン、難病にかかっていたり、腎臓を一つ摘出した女性など、様々な事情に悩み来館します。

Bレイプや近親相姦を含め中絶禁止する法案に賛成した議員の一人は、今回は1973年の連邦最高裁判例に挑むのが目的で、どうせすんなりと決まるわけがなく(過激な制限でも)問題ないと説明しています。

 これをきっかけに全米各地で、法律で妊娠中絶を厳しく制限する風潮に抗議するデモが相次いでいます。現状を少し詳しく調べてみました。


ハートビート法の成立状況


 下図は、全米各州の現況です。これまでは1973年の連邦最高裁判決を根拠に、胎児が母体外生活可能期(当時の解釈では24~28週)に入る前の段階で、妊娠中絶を禁止する州法は認められてきませんでした。しかし、各州でハートビート法が成立している背景には、昨年7月に連邦最高裁で中道派の判事が引退して保守・リベラルの均衡が破れ、妊娠中絶についても連邦最高裁の判断が保守派有利に変わるとの期待があります。

従来の中絶禁止 20週∼22週∼24週∼母体外生活可能期(24~28週)∼妊娠後期(25週∼)州法なし

新法 0 完全禁止 6・8 ハートビート法(*知事が署名方針) 13 D&E禁止(白字は知事拒否)  否決 審議中

 ミシシッピー、ジョージア、ケンタッキー、オハイオでは、6週目以降の妊娠中絶を禁止するハートビート法が成立し、ルイジアナやサウスカロライナでも近く州知事が署名して成立する見込みです。ミズーリでは8週目以降禁止のハートビート法。もっとも、ケンタッキーでは連邦裁判所に差し止められたりして、ハートビート法が実際に施行にされた州は、まだ現れていません。

 アーカンソーやユタでは、これまでより妊娠中絶の禁止を4~6週前倒しする法律が制定されました。ノースダコタやミシガンでは、一般的に妊娠第2三半期(13~21週)に行われるD&E(拡張吸引法)という中絶手術を禁止する州法が議会で決まりましたが、ミシガンでは州知事が拒否権を発動して成立しませんでした。

 一方、テネシーやニューヨークではハートビート法が廃案に追い込まれ、特にニューヨークでは、逆に女性に一定の妊娠中絶の権利を保証する州法が制定されました。テキサス、オクラホマ、フロリダ、イリノイ、インディアナ、ウェストバージニア、メリーランド、ミネソタ、ワシントンでは、州議会で審議中です。


1972年以前の各州の中絶禁止法


 今でこそ、生まれる生命を尊重する立場から妊娠中絶に反対する保守的なプロライフと、生む立場の女性の権利を擁護し妊娠中絶を容認するリベラルなプロチョイスの、二派対立に図式化されてきていますが、古来、世界中で堕胎(妊娠中絶)は必要悪でした。聖書にも堕胎を禁じる明確な記述はありません。

1972年以前の各州の法律

     全面的に違法      レイプによる妊娠に限り合法      母体保護目的に限り合法      母体保護やレイプ等及び胎児障害に限り合法      合法

何らかの断種法があった州(白地以外)

 アメリカでも胎児の胎動が始まる妊娠15∼20週より前の中絶は慣習法で認められていましたが、1820年代に妊娠中絶を違法とする州が現れます。1821年にコネチカットで堕胎薬の販売が禁止され、1829年にはニューヨークが胎児の胎動後の堕胎を重罪、胎動前の堕胎を軽罪とする州法を制定しました。これらの州では人々が豊かになり堕胎をしなくても暮らしが成り立つようになったからでしょう。中絶を禁止したり制限する法律は、今とは逆に女性を危険な堕胎から守るために始まったのです。

 その後は左図のように、妊娠中絶を全面禁止する州が多数派を占めていきましたが、今では妊娠中絶に反対する保守的なプロライフが強い南部の諸州に条件付きで合法とする州が多かったのは、黒人との混血児や障害児を厭う風潮があったためと推測されます。

 それでは、北部はどうだったかというと、1890年代から1920年代の進歩主義時代に、優生学に基く断種法が33州で施行され、障害者や性犯罪者ほか、当時急増して社会問題化していた移民やインディアンの女性らにまでも強制不妊手術が施されました。

 優生学はナチのユダヤ人虐殺に根拠を与えた学説として否定され、断種法も第二次大戦中から次第に廃されていきましたが、戦前の人権意識は南部で北部でも、極めて低かったことが分かります。


1973年の連邦最高裁判例


 女性の妊娠や出産の自由について近代的な論争が始まったのは、戦後25年も経った1970年のことでした。当時妊娠中絶を禁止していたテキサスで、未婚女性の妊娠中絶を施した医師が逮捕される事件が起き、3年後に連邦最高裁がテキサス州法を違憲とする判決を下したのです。女性が妊娠中また出産後に負う肉体的・心理的負担について強調し、明文化されてはいないものの合衆国憲法は個人のプライバシー(私生活の自由)も基本的人権に含めて認めているという判断です。

 この時代には医療技術が発達し妊娠中絶も危険な手術ではなくなってきていましたから、法律で禁止して危険な違法堕胎の横行を許すより、医師の中絶手術を認める方がマシという現実的な判断があったかもしれません。この判決により、各州は胎児の母体外生活可能期(当時は妊娠24~28週と考えられていた)より前の妊娠中絶を禁止することができなくなりました。全米が、19世紀初頭まであった胎児の胎動前の妊娠中絶を容認する慣習法に戻ったと考えてもいいかもしれません。

 リベラルな判決と捉えることもできますが、当時は未婚の母という旧来の社会道徳に反する行為をもみ消す手段として、保守層の中にも隠れ中絶容認派がいたに違いありません。1973年の連邦最高裁判決は9人の判事のが7:2の大差で決したもので、今回のように連邦最高裁判事の構成が保守5:リベラル4となったところで、判例がくつがえり各州のハートビート法がそのまま認められるとは限らないのではないでしょうか。ただし、私の個人的な予測ですが、妊娠中絶容認期間を今より短縮する州法を許すような妥協があるかもしれません。


最近の論争


 その後も医療技術は発展を遂げ、最近は妊娠22週の早産による未熟児でも救える時代に入ってきました。日本の例では、1948年施行の優生保護法(現母体保護法)の下に妊娠中絶が容認されるようになりましたが、1951年までは妊娠28週未満、その後1990年までは妊娠24週未満、さらにその後は妊娠22週未満と、通常で妊娠中絶が容認される期間は徐々に縮められてきました。

妊娠期間と胎児の成長

従来の区分

最近の区分

妊娠中絶の方法

妊娠第1三半期(1st trimester)

1~12週

1~11週

初期中絶(薬剤または拡張と掻把法…D&C)

妊娠第2三半期(2nd trimester)

13~24週

12~21週

中期中絶(拡張と吸引法…D&E)

母体外生活可能(Fetus at viability)

24~28週

22~40週

後期中絶(拡張と牽出法…D&X)

妊娠第3三半期(3rd trimester)

28~40週

 これまでアメリカでは、中絶を容認する期間は、妊娠20週未満のノースカロライナとミシシッピを除き、法的にいうと日本と同じか長めでしたが、南部諸州では中絶クリニックをねらった保守派のテロや嫌がらせが頻発し多くが廃業に追い込まれた結果、地域によっては、金持ちは他州に出かけて中絶できるが、低所得者は産むしかない状況も生まれています。

 オバマ政権は、公的資金を投入して医療保険を拡充する政策(オバマケア)の中で、避妊や妊娠中絶も保険対象に含めると義務化しましたが、トランプ政権下で、信条的に避妊や妊娠中絶に反対する人々に対しては、医療保険会社が避妊や妊娠中絶をカバーしていない保険を販売してもいいことになりました。最近では遺伝子診断の結果を見て産む産まないを決められる時代になり、妊娠中絶の是非は今やイデオロギー論争に化しています。